■梅の木轟 梅の木轟は、せんだんの轟の滝と同様に古くから、その存在は知られていましたが、山深き渓谷の地にあるため、なかなか、その姿を見ることが出来ず幻の滝として知られていました。 その昔、轟のある谷一帯は仁田尾の左在家「菅原道真公の子孫」が支配した地域であり、里の人々は、道真公ゆかりの飛梅を心から尊んでいました。 ある日、里人が仁田尾の天満宮から飛梅を分けて運ぶ途中、滝に誤って流してしまい、その梅の木を取ることができませんでした。里人達は滝に落としてしまった梅の木と共に大宰府や京の都への思いにふけり、滝の音を聞きながら日々を送ったそうです。梅木の轟は、清涼で豊富な水が高さ38mの断崖の岩肌を轟音と共に流れ落ち、自然の雄大さを感度させます。現在は、遊歩道や吊り橋が整備されていますが、それまでは、山道もない人里はなれた渓谷の「幻の滝」ですと、説明板に書かれています。 ■梅の木轟公園吊り橋 梅の木轟公園吊橋は、自然景観や土地形状に配慮し、PC吊床版橋を採択してあります。PC吊床板橋は、両端の橋台にはぼ水平に渡したザイル(PC鋼材)を薄いコンクリートで包み込んだ床版橋で、深い渓谷にあたかも白いリボン(帯)を渡したようになっているので特徴です。橋長は116mと長大ですが、床版の厚みは20cmとなっています。 五家荘(ごかのしょう)では、滝のことを「とどろと云い、呼び名のあとに轟の字が付くのがふつうです。また、吊橋の脇の説明板では、五家荘周辺には大小11の吊橋があると書かれています。
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