■増築の洋間 夏目漱石旧居の洋間は、漱石転居後に増築されたものです。いまは、漱石の写真や資料が展示されています。 漱石は、五校に4年3か月勤務し、明治33年、文部省の命により英語研究のため2年間英国へ留学しています。
明治36年帰国後一校と東大の講師をしながら、明治38年、高浜虚子の勧めで処女作「吾輩は猫である」を著し、その後「坊ちゃん」「草枕」などの秀作を発表しました。 それらの作品をきっかけに朝日新聞社から熱烈な招聘の話があり、文学一本で暮らしたいと思っていた漱石は、明治40年4月、教職を退き朝日新聞社に入社しました。 |
■馬丁小屋 夏目漱石の教え子でてあり、烈々な漱石崇拝者であった寺田虎彦は、「物置でもいいから是非とも書生においてほしい」と熱心に頼みこみましたが、馬丁小屋の中を見て、さすがに寅彦も住むのをあきらめたと言われています。
その後、漱石は、「三四郎」 「それから」 「門」 「こころ」 「道草」 などの作品を次々と発表7し、国民的作家と呼ぶにふさわして存在として、今なお多くの人に読まれています。 明治とともに齢を重ねた夏目漱石は、大正5年 (1916) 12月9日、胃潰瘍のため、49歳で逝去ました。 |