我に法あり君をもてなすもぶり鮓


愛松亭と愚陀仏庵 漱石と子規の友情と文学


■愛松亭と愚陀仏庵 漱石と子規の友情文学
■校長より高い月給八十円
夏目漱石は、明治二十八年四月九日、三津浜に上陸しました。松山中学の英語教師として赴任してきたのでした。
その日、漱石は、まずは三番町の城戸屋という旅館に転がり込みました。最初、あまり上等ではない部屋に通されましたが、翌日の地元新聞に、「このたび、松山中学校は、月給八十円で学士を迎えた」という記事が載ると、城戸屋の一番いい部屋に移されたということです。
当時、日本国中にひとつしかない帝国大学を卒業し、学士の称号を持っているということはたいへんなことで、松山中学校の校長の月給が六十円なのに、二十八歳の漱石の月給が八十円というわけです。
■愛松亭 (あいしょうてい) で弓を引いた漱石
漱石が城戸屋にいたのば数日で、その後、この場所にあった愛称亭に移ってきました。ここは、江戸時代には、松山藩の家老屋敷でしたが、明治になってからは民間所有となり、津田安二郎という人が、料理屋と骨董屋を営んでいました。漱石は、その二階に下宿し、家老屋敷時代からの井戸の水で顔を洗い、お茶をいれていました。 (この井戸はいまも萬翠荘の前庭にあります ) そして、愛松亭の裏手で、よく弓を引いてしました。なかなかの腕前だったそうです。
若いときからいろいろと悩むところ多く、しばしば抑鬱気味になった漱石でした。このときも「ちょっと田舎へ行ってのんびりすればどうか」という周囲の配慮もあって松山へやって来たのでした。山口県の中学校も提示されましたが、漱石は松山中学校を選びました。
■漱石を松山に呼び寄せた「もぶり鮓」
実は、明治25年の夏休みに、漱石は松山に立ち寄っています。もちろん、大学で親友となった正岡子規がいたからです。このとき、子規のお母さんである八重さんが、得意料理の松山名物「もぶり鮓」をふるまったところ、漱石は学生服姿できちんと正座して、一粒もこぼさず残さず、きれいにたいらげたました。
漱石が山口ではなくて松山を選んだのは、このときの「もぶり鮓」がよほど美味しかったからではないかという話があります。のちの明治29年、子規は、このことを俳句に詠んでいます。
我に法あり君をもてなすもぶり鮓
■虞陀仏庵で子規と同居
愛松亭で六月下旬までいた漱石は、二番町の上杉方という人の、二階建ての離れ家に引っ越し、ここを自分で「愚陀仏庵」と名付けました。
東京で新聞「日本」の文芸欄担当記者をしていた子規は、この年四月、日清戦争取材のために、従軍記者となって中国大連に渡りました。近衛師団と一緒の船で行ったのですが、近衛師団の副官が、のちにこの場所に萬翠荘を建てることになる久松定謨伯爵でした。子規は、久松伯爵から日本刀を一振り贈られ、また、大連の高級料亭で御馳走になりました。
しかし、もともと二十歳のころから胸を病んでいた子規は帰りの船中で大吐血。神戸や須磨の病院で入院加療の後、自宅療養のために松山に帰省。八月二十七日から十月十七日までの五十二日間、子規は愚陀仏庵の一階にやってきて、漱石と同居したのでした。
■俳句ではじまった漱石の文学
当時、松山では、子規の新しい俳句理論に共鳴する人たちの「松風会 (ししょうふうか) という俳句結社が成立していました。漱石の勤務時間は午前八時から午後二時。漱石が帰宅してしばらくすると、松風会の人々が愚陀仏庵にやってきて、句会が始まります。漱石もこの句会に参加するようになりました。この年、漱石は四百句を創作。翌年には六百句。英文学研究者ではなく日本語文芸創作者としての漱石は、まさに、この愚陀仏庵句会において点火されたのでした。
■漱石は結婚を決意
子規が関西方面に寄り道をして東京に戻ったのは十月三十一日でしした。漱石からの手紙が届いていて、なかに俳句がひとつ書かれてありました。
さみしいな妻いてこその冬籠り
このころ、松山で気持ちが元気になった漱石は、「僕は結婚しようと思う」と、松風会の人たちにもらすようになります。そして、この年末に東京に戻り、貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子 (当時十九歳) とお見合いをして、結婚を決めます。翌年四月、熊本の第五高等学校に転任した漱石は、六月に鏡子と結婚して、熊本で新婚生活を始めたのでした。
愚陀仏庵は、昭和五十七年に満翠荘の裏手に復元されていましたが、平成二十二年七月、土砂崩れのため倒壊してしまいました。再々建が待たれるところです。
と愚陀仏庵の跡地に建てられている喫茶室で配布されているパンフレットに書かれています。


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