■長門鉄道 大正2年9月 長門軽便鉄道株式会社の設立総会を小月村明園寺で開催 大正3年8月 第1回株主総会を開催。出席者108名、初代社長児林喬治氏。同月、豊浦郡小月村〜西市村間の軽便鉄道「工事認可申請書」を提出 大正4年4月 長門鉄道施設工事起工式 大正7年10月 開業、使用蒸気機関車2両、客車4両、貨車7両。小月西市間を1日5往復、片道60分で運行した。 「戦時中交通事業統制」により山陽電気軌道と合併したが、後に分離。 昭和28年 乗合バスを下関〜麻生間に運行開始。 昭和31年3月 鉄道部門を廃止、バスのみ運行。 昭和50年4月 山陽電気軌道株式会社と合併。と動輪脇の説明板に書かれています。 ■長門鉄道「中山トンネル」 明治43(1910)年の長門軽便鉄道の計画では、路線は込堂から木屋川沿いに敷設されることになっていましたが、経費が嵩むとの理由で、大正3年10月に路線が変更され、この地にトンネルが掘削されることになりました。 設計は、山口県出身の技師佐藤謙之輔氏を鉄道院(現JR)より招き、鉄道院と同一規格で掘削されました。 トンネルは直線ではなく、中央付近で湾曲しており、技術的に高度な掘削です。長門鉄道 小月〜西市間18.2キロメートルの難所の1つで、唯一のトンネルです。トンネル脇に設置された説明板に書かれています。
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