海軍練炭製造所採炭部キーストン、この場所は大嶺支線の大嶺駅跡があった場所です。

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2017' AUG 13 Message

大嶺町麦川は、大嶺炭田の発展に功績のあった永嶺純次郎博士の遺志を受け、麦川の振興のシンボルとして海軍マーク入りのキーストンを屋外展示しているほか、平成9年4月1日まで美祢線大嶺支線の南大嶺−大嶺間2.8キの終着駅であった大嶺駅の廃線廃駅の跡地でもあります。 * ♪


+ + 海軍練炭製造所採炭部キーストン 大嶺駅跡 + +

■海軍マーク入りのキーストン
大嶺町麦川は、海軍練炭製造所採炭部が置かれたことを契機に無煙炭の産地として繁栄を遂げた。この海軍マーク入りのキーストンは、海軍炭鉱時代に坑口中央に掲げられ、採炭に向かう人達を鼓舞した。当時、責任者として、大嶺炭田の発展に功績のあった永嶺純次郎博士の遺志を受け、麦川の振興のシンボルとして海軍マーク入りのキーストンを屋外展示場を整備するものである。平成19年5月、美祢市長 小竹伴夫と記載されています。この場所は大嶺支線の大嶺駅跡があった場所です。
■美祢線大嶺支線 大嶺駅 南大嶺駅
大嶺駅は、美祢線大嶺支線の南大嶺−大嶺間2.8キの終着駅でしたが、平成9年4月1日、大嶺支線の廃止にともない廃駅になっています。
南大嶺駅の歴史は、駅前の案内板に次のように説明されています。
開設年月日 明治38年9月13日 駅名の由来 開設当時は大嶺線中最大の交通の中心地であったので、駅付近の著名な地名である伊佐(当駅から北に約4キロ)をもって伊佐駅と名付けられた。
もともと軍事上から、旧大嶺駅からの無煙炭輸送を主目的に建設された当線もその後大正9年10月重安−於福間、次いで大正13年3月、於福−正明市間の全線が開通しこの総てを美祢線と称する事になり、陰陽連絡路線として「政治・経済」文化の発展に大きく寄与してきました。
大正14年7月に当駅からかなりの距離にある伊佐町にも至近距離に吉則駅が誕生してからは、旅客・貨物の取扱上から種々不都合が生ずる為に駅名改称の世論も漸く活発になり昭和24年1月に、無煙炭取扱駅として名のある大嶺駅の南に位置するところから南大嶺と改称して今日に至ると書かれています。
廃線となった大嶺支線の発着番線は1番線でした。駅の写真では駅舎部分のホームが拡張されていますが、ここに大嶺支線の線路があったといいます。ホーム脇のバックミラー部分は線路があった場所です。

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