■明月亭 縮景園の最奥の積翠巌、古松渓、白龍泉に囲まれる所に明月亭があります。内部は茶室、控之間、水屋之間、玄関之間があります。数寄屋造りで、一部書院造りの様式を持ち、屋根は萱葺、庇は柿拭きです。窓枠に牛車の車輪を用いた数寄を凝らしています。 白龍泉は滝とそれに通じる流れが、あたかも白い竜が伏せているかのような形の曲水で流水は三段の滝に注いでいます。積翠巌は、石組は蓬菜式鶴石組、三尊石組、枯滝石組とも呼ばれます。清水七郎右衛門による改修とされています。この部分は天明の大改修後の部分改修部で、牛田・清水谷からの導水仕掛けや、水溜を造成した湧水仕掛けの造作など、池の西部の部分改修されたところです。 |
■清風館 数寄屋風書院造りで屋根は柿 (こけら) 葺きになっています。東側には花頭窓を設けて蹴虹橋を望み、西側は優雅な書院造り様式を備える。内部は清風之間、老候之間、次之間、玄関之間、茶室、水屋之間を持つ、鬼瓦に浅野家の裏家とおぼしき桔梗の紋が入っているのが興味深いといいます。 明治になっても広島を訪れる名士や文人墨客などは、縮景園に立ち寄っていましたが、一般県民は自由に出入りすることはてきませんでした。大正2年 (1913) 館内に観古舘 (現在の広島県立美術館の位置) が設けられ、浅野家所蔵の書棚・古文書・武具。茶器その他を陳列し、一般公開が始まったといいます。
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