名勝 縮景園 no5

千利休の系譜を引く茶人である上田主水正重安 (号は宗箇) が起用、縮景園はいわゆる大名庭園の先駆けとして注目されています。


名勝 縮景園


■縮景園 天明の大改修
藩主重晟の治世、建物の復旧、園城の拡張が行われています。さらに、天明3年 (1783) 12月から1788年8月にかけて、尾道出身い゛京都の庭師・清水七郎右衛門を招き大改修を行っています。
改修は園内の建物から手がつけられ、「御泉水御下屋敷」または「壱之御茶屋」と呼ばれていた現在の「清風館」に12畳の部屋を増築しています。1786年より始まる庭の改修の中心は、のちに「跨虹橋」と名付けられる橋の建築です。
「悠々亭」もこの時移築されています。「積翠巌」も七郎右衛門の手によるものです。
この改修により、今日見る縮景園はほぼ完成し、本格的な池泉回遊式庭園へと一新されました。



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