名勝 縮景園 no2

千利休の系譜を引く茶人である上田主水正重安 (号は宗箇) が起用、縮景園はいわゆる大名庭園の先駆けとして注目されています。


名勝 縮景園


■縮景園
江戸時代の大名たちは国元の居城やその近く、または江戸屋敷に、広大な庭園を造り茶室建築など建てる風潮がありました。広島浅野藩初代藩主長晟は、広島入国の翌年の元和6年 (1620) から「泉水屋敷」の築成にとりかかり、千利休の系譜を引く茶人である上田主水正重安 (号は宗箇) が起用された。縮景園はいわゆる大名庭園の先駆けとして注目されています。
宗箇が作庭した当初の姿は、庭は御泉水と称し、池の中央に長い欄干橋を架け、橋の対岸には山を築き、橋の左右に一対の島を配し、橋の袂に数寄屋を設けていました。現在のような植え込みは少なく、築山はほとんどが芝生の山で、数寄屋などの周りに砂利を敷いていました。
木々の茂みが少なく砂利敷きであったのは、敵の侵入がすぐ分かるようにとの目的であったと考えられています。宗箇時代にはまだ戦国時代の意識が見てとれますが、全体としてはのびやかで、限りなく眺望が開けた庭園です。



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