名勝指定 縮景園 no3

個人の財産から県の財産となったため、縮景園は広く県民へ公開されることとなりました。


名勝指定 縮景園


■名勝指定 縮景園
浅野家は明治14年 (1939) 広島県に縮景園と観古園の寄贈を申し出て、県は翌年正式にこれを名勝指定受納した。個人の財産から県の財産となったため、縮景園は広く県民へ公開されることとなりました。明治15年 (1940) 7月、名勝指定を受け、園の保存と活用を図ることとなりました。
そのわずか5年後の昭和20年 (1945) 8月6日、原子爆弾の投下により壊滅的な被害を受けます。
■戦後の復旧警備
戦後になり、縮景園の復旧が始まったのは昭和24年 (1949) のこと、濯纓池のヘドロさらい、瓦礫・雑草の除去に始まり、樹木の伐採、橋梁の修築、魚の放養など計画的に進めていったといいます。一応の体制を整えて施設は未完成のまま昭和26年 (1951) から再開園を行っています。園内の建造物の復元に着手し、正門、清風館、悠々亭、看花榻、夕照庵、超然居、名月亭と復元されてゆきます。



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