■数鹿流ヶ滝(すがるがたき) 阿蘇山の外輪山の西部の切れ目に位置する黒川水域の滝。黒川が白川に合流する地点の少し上流にあります。現地の案内板によれば、落差60m、滝幅20m、滝壷の広さ2970平方m。国道57号と国道325号の合流点にある阿蘇大橋から滝が眺望もできます。また、滝の眺望は専用駐車場が国道57号線沿いにあり、駐車場から観爆台までは約300mです。 神話の伝説では、健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇大明神)がカルデラ湖となっていた阿蘇に田畑を造るため、外輪山を蹴破った。そこに滝が出来た。この時に、鹿が数頭流され「数鹿流ヶ滝」と呼ばれるようになったと言われています、また、もう一つの伝承として、鎌倉時代初期の建久2年(1191年)阿蘇氏が「下野の狩り」と呼ばれる巻狩。この巻狩の際に、追い詰められた鹿が逃げ場を失い数頭が滝に落ちて流された。このため、この滝は「数鹿流ヶ滝」と呼ばれるようになったといい、この巻狩は建久4年(1193年)に行われた「富士の巻狩り」の手本となったとされた。とされるものもあります。なお、観爆台の説明板は、後者の「富士の巻狩り」を滝の名勝の由来としています。 ■南阿蘇伝承ばなし 「孝女白菊の歌」 の像 数鹿流ヶ滝の艦爆台には、祠と孝女白菊の像があります。像の説明板は、明治から昭和初期にかけて全国で人気を得た物語詩「孝女白菊の歌」、その舞台は南阿蘇一帯で、白菊のモデルは妙善尼ではないかと語り継がれています。当村にはそれらゆかりの地が点在しています。(要約)南阿蘇村教育委員会、南阿蘇孝女白菊の里づくりの会 と説明されてます。
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