言葉は 相手との意思の疎通をする手段ですが 単に言葉が通じるだけでは よいコミュニケーションができるかというと そうではないようです
まず 2つの例で考えてみます
1 外国に赴任したご主人とともにアメリカに転居した奥さんの事例です
引越しの荷解きも終わり 近くのスーパーに買い物に出掛けました 帰り道 近くに住む日本人の奥様が車で通りかかり 「自宅までお送りしますよ」と言ってくれました しかし まだ 知り合って間がないことから 「大丈夫です お気持ちだけいただきます」と答えたところ その奥様は 「そうですか」と言って 車を走らせ行ってしまいました こんなとき 日本では まず 最初の答えは 遠慮の言葉が出て つぎに相手の奥様から「遠慮せずに どうぞ どうぞ」と更にすすめられて 「それでは お言葉に甘えて 乗せていただきます」となると思います
アメリカでは 遠慮は イコール 相手の思い遣りを不必要とする 答えになります たとえ 会話の相手が 同じ日本人でも アメリカの言葉のコミュニケーションに溶け込んでいる場合は 間違いなく 遠慮は 不必要の答えになります
これ以後 奥様は 日本人が美徳とする まず 遠慮するということをせず 自分の気持ちをはっきりと言うようにしたということです
2 つぎに アメリカにホームスティをする高校生を例を考えてみます
ホームスティ先からの苦情で最も多いのは 日本人は嘘が多いということです 日本の場合は 一緒に出掛けたくない場合は 「ちょっと身体の調子がすぐれないので」 のように オブラートで包んだような表現を使います しかし アメリカでは 調子が悪いは イコール 病気という表現になり 日本人のように この人は行きたくないんだね と察してくれることはありません
日本のように 相手を気遣って使った表現も アメリカでは 通じません このため 日本人は うそ が多くて 困るということになってしまいます