■通潤橋の維持管理 用水を渡す通水管は石の管を連結した構造であるため、継ぎ目(目地)には、「漆喰」が使用されており、漏水を防ぐという重要な役割を担っています。1〜2年ごとに用水受益者により漆喰の詰め替え作業が行われています。
また、アーチ橋の壁面の部分では、石積みの保護のため、年1回程度ロッククライマーによる除草も行われています。通潤橋は、これらの管理作業を通じて大切に継承されてきた文化財の一つです。 放水は、例年5月中旬から7月下旬は農地かんがいのため、12月から3月までは通潤橋の石材の凍結を防止するため、放水は行われません。 |
■布田保之助 江戸時代末期天保4年(1833)から文久元年(1861)の約30年間の長きに亘り、矢部地域76か村の長で、行政の責任者であった(熊本藩の役職では「総庄屋」という)人物です。元来、布田家は、数代に亘り矢部地域の長を務めた家系であり、保之助の父、布田市平次も矢部の開発と人々の生活安定のため尽力した人です。 保之助が8歳の時、36歳の若さでこの世を去っています。父の意志を継いだ保之助は、新田開発を目的とした用水路・ため池(堤)等の整備の実情に応じて数多くの開発事業を手掛けています。用水・ため池(堤)22か所、堰12カ所、道路162か所、眼鏡橋13か所が知られています。 |