通潤橋は深い谷に囲まれ水不足で困窮していた白糸大地の民衆を救うために架けられた灌漑用の石造りアーチ水路橋です。


itigonet ・ Strawberry-Club TSUJUNKYO 国重要文化財 「通潤橋」 通潤す橋 建設者 布田保之助


■通潤す橋 建設者 布田保之助
江戸時代末期天保4年(1833)から文久元年(1861)の約30年間の長きに亘り、矢部地域76か村の長で、行政の責任者であった(熊本藩の役職では「総庄屋」という)人物です。元来、布田家は、数代に亘り矢部地域の長を務めた家系であり、保之助の父、布田市平次も矢部の開発と人々の生活安定のため尽力した人です。
保之助が8歳の時、36歳の若さでこの世を去っています。父の意志を継いだ保之助は、新田開発を目的とした用水路・ため池(堤)等の整備の実情に応じて数多くの開発事業を手掛けています。用水・ため池(堤)22か所、堰12カ所、道路162か所、眼鏡橋13か所が知られています。


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