明治10年の西南戦争で多くの建物を焼失ましたが、薩軍の猛攻撃に堪え、名城としての真価を発揮しました。

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2016' MAR 27 Message

日本名城の一つに数えられる熊本城は、加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長6年から7か年の歳月を費やして完成したものと伝えられています。周囲5.3キロに及ぶ豪壮雄大な構えで、百二十余の井戸を掘り、かつては櫓四十九、櫓門十八、城門二十九を数えました。 * ♪


+ + 特別史跡 熊本城 大小天守閣 (外観復元) 石垣の美 + +

■特別史跡 熊本城
日本名城の一つに数えられる熊本城は、加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長6年から7か年の歳月を費やして完成したものと伝えられています。周囲5.3キロに及ぶ豪壮雄大な構えで、百二十余の井戸を掘り、かつては櫓四十九、櫓門十八、城門二十九を数えました。明治10年の西南戦争で多くの建物を焼失ましたが、薩軍の猛攻撃に堪え、名城としての真価を発揮しました。熊本城の石垣は、特異な勾配と堅牢さで知られ、「武者返し」の石垣と呼ばれています。
■熊本城大小天守閣 (外観復元) 石垣の美
本丸御殿一帯は西南戦争の3日前に原因不明の出火で焼失しており、現在の天守閣は昭和35年に外観復元されたものです。 大天守は地上6階地下1階、石垣の上からの高さは約30m、小天守は地上4階地下1階、高さ約19mです。内部には加藤家、細川家。西南戦争の資料が展示されています。
熊本城は一定の金額を納めると城主になれる制度があり、小天守には城主になった皆様のお名前が書かれた札が陳列されています。


+ + 戌亥櫓 宇土櫓 大小天守を望む + +

■時習舘跡から見る戌亥櫓 宇土櫓 大小天守の風景
二の丸御門跡の南側、二の丸広場の北側は時習舘跡は芝生の広場になっています。その広場の北東角からは、写真のように手前から戌亥櫓、中間に宇土櫓、奥に大小天守を見ることができます。
また、戌亥櫓から西大手楼門にかけては長塀の漆喰の白の壁が続き、城外から城内を眺めるような雰囲気を感じることもできます。
この場所は、熊本城内の見学コースではありませんが、熊本城の共通入場券の見学施設の旧細川刑部邸に向かう二の丸御門跡や第二・第三駐車場から熊本城に向かう歩道沿いになります。撮影したのは夕闇迫る時間ですが、晴天の夕陽が輝く時間は、各櫓や大小天守が夕陽に染まるところを撮影できる場所になります。
更に、江戸時代は勉学にいそしむ若き武士が闊歩していた堀端の通路であったことでしょう。



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