■宇土櫓 熊本城内に残る唯一の多層櫓で、外観は三層、内部は五階に地下を備えています。古くから小西行長の宇土城天守を移築したものと伝えられ、宇土櫓の呼び名の起こりされました。しかし、解体修理の調査などから、熊本城内で創建された櫓であることが明らかになりました。 木材は主にマツを使い、他に栂(つが)、楠(くす)、栗等も使用しています。黒光りした手斧(ちょうな)痕の残る柱には歴史の重みが実感できます。屋根瓦は全部で四万六千枚にも達し、その中には四百年の歳月に耐えた加藤家の桔梗(ききょう)紋を持つ瓦も残っています。 明治10年(1877)2月19日の城内火災では、折からの強い西風で風上に位置したことから、幸運にも難を逃れています。昭和60年から五年がかりで修理を行い、平成元年十月から一般公開されています。
■小天守閣から見る宇土櫓 小天守閣から見る創建当初から建つ重要文化財の宇土櫓です。右側には加藤神社、左側は頬当御門、宇土櫓の先には戌亥櫓、更に先には旧火山の金峰山の山並みを遠望することができます。 金峰山の中腹には、峠の茶屋公園があり、熊本市 明治30年(1897)、文豪夏目漱石が友人の山川信次郎とともに熊本から現在の天水町へ旅をした小路があります。その時に通ったのが、鳥越峠と野出峠。当時この2つの峠には茶屋があり、有名な「草枕」の一節「おい、と声をかけたが返事がない」はこのどちらかの茶屋が舞台といわれています。現在、野出峠は有明海や島原半島を望む展望公園として整備されていますが、茶屋はありません。しかし、この鳥越峠には茶屋が再建され、峠の茶屋公園として整備されています。再建された茶屋の内部は、漱石に関わる資料を展示する資料館として公開されています。 また、写真の右の山の中腹には、加藤清正公御廟所である本妙寺を見ることができます。
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