源平壇浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社

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2017' SEP 18 Message

寿永4年(1185)年3月24日源平壇浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社にして下関の古名なる赤間関に因みて赤間神宮と宣下される 昭和20年7月2日戦災に全焼せるも同40年4月24日御復興を完成し同50年10月7日 寛仁親王殿下の台臨を仰いで御創立百年祭を斎行 同60年5月2日 勅使御参向のもと高松宮同妃両殿下の台臨を仰ぎ御祭神八百年式年大祭の盛儀を厳修せり * ♪


+ + 赤間神宮 御祭神 第81代 安徳天皇 + +

■赤間神宮
御祭神 第81代 安徳天皇
御祭日 5月3日 先帝祭 10月7日 例大祭
寿永4年(1185)年3月24日源平壇浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社にして下関の古名なる赤間関に因みて赤間神宮と宣下される 昭和20年7月2日戦災に全焼せるも同40年4月24日御復興を完成し同50年10月7日 寛仁親王殿下の台臨を仰いで御創立百年祭を斎行 同60年5月2日 勅使御参向のもと高松宮同妃両殿下の台臨を仰ぎ御祭神八百年式年大祭の盛儀を厳修せり
■水天門記
推時昭和32年11月7日大洋漁業副社長中部利三郎氏は卆先多額の御寄進に加えて曰く即ち関門海底国道隧道の完成と下関市制70周年大博覧会開催の秋 吾国未曽有宇の御由緒と関門の此の風光明媚とに鑑み水天門の建立こそ今日の急務なるはなしと 此処に昭憲皇太后より賜はりし御歌の
今も猶袖こそぬれわたつ海の龍のみやこのゆきおもへは に因みて龍宮造し奉れは昭和13年4月7日 畏れも昭和天皇 香淳皇后殿下此の神門の御通初め御参拝を賜はり赤間神宮並びに安徳天皇阿弥陀寺陵に詣でてと題して給いて
みなそこしつみたまひし遠つ祖をかなしとそ思ふ書見るたひにの御製一首をもし賜ひし空前の行幸啓に輝く水天門是なり
■太鼓楼記
水天神鎮の恩頼を蒙の奉る関門港湾建設株式会社清原梅義氏は本宮崇敬会長として夙に敬神の念篤く 時恰も下関市政百年を迎うるや本市の発展は陸の龍宮の具現に在りと太鼓楼の造立を発願せられ平成2年1月27日旧元旦を期して見事に竣成す 蓋し新帝即位御大礼の佳歳にして全国民奉祝記念事業の嚆矢を以って除幕奉献せらる 打鳴らす鼓音とうとう関門海峡をわたり国家鎮護世界平和の響き四海に満ち水天皇の神威愈々光被せむ
■水天門 掲額の記
神紋楼上に関門海峡を見はるかし黒漆地に金波輝く水天門の御額は寛仁親王殿下の御染筆を賜り平成17年5月3日御祭神と仰ぐ安徳天皇八百二十年大祭に際して宮様お成りのもと思召を以って御自ら除幕を頂いたものであります。と神宮縁起の説明板に書かれています。
■太閤石
大阪城築城の石垣として、太閤秀吉が肥前の国の領主龍造寺隆信に命じて、肥後の国から関門海峡経由で運搬していたが、赤間の急潮に阻まれ、月日を費やしているうちに大坂城が完成。もはや用をなさなくなった石を赤間の海へと捨てた。昭和42年、関門海峡の水深を深くする工事の際に引き揚げられ、ここ赤間神宮へ奉納された。とボランティア説明員の方に説明されました。

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