大谷石(おおやいし)は軽石凝灰岩の一種 栃木県宇都宮市北西部の大谷町付近一帯で採掘される石材で 柔らかく加工がしやすいことから 古くから外壁や土蔵などの建材として使用されています
大谷石は 日本列島の大半がまだ海中にあった新生代第三紀の前半 火山が噴火して噴出した火山灰や砂礫が海水中に沈殿して それが凝固してできたものとされています 大谷町付近の大谷石の分布は 東西8Km 南北37Kmにわたり 地下200から300mの深さまであることが確認されており 埋蔵量は10億トンと推定されています
大谷石の特徴は 耐火性にすぐれている 石の重量が軽い 石質が柔らかいため加工が容易 です このため 主に住宅や倉庫(石倉) 防火壁 貼石 石塀 門柱 敷石 石垣 土止め石(擁壁)等の建築素材として使用されています
大谷資料館の地下採掘場跡は 大正8年(1919)から昭和61年(1986)まで約70年をかけて 大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間です その広さは 2万平方メートル(140m×150m)です また 資料室には採掘時の工具や衣類が展示されています それぞれの時代の大谷を学ぶことができます |
写真は大谷資料館の内部 外の気温が30度を超えているのに 内部の温度は10度程度 説明文では 坑内の年平均気温は7度 最高気温は約13度 最低気温は約2度と書かれています このため 米のたくさん余った昭和45年には 坑内に約90,000俵の政府米が保管されたといいます また 現在では 野菜やくだもの ワイン 日本酒の貯蔵庫とし利用されています
坑内には さまざまな説明文と壁にはさまざまな採掘の歴史が刻まれています 特に手堀のあとの説明は 昭和34年までは 手堀りによる採掘が行なわれていました 天井付近に見られる壁の縦線模様は手堀時代のものです 石山に対し横方向に1本1本堀り進め 石を縦に切り出した 垣根彫りのあとです その下に見られる横線模様も同自体のもので 石山に対して下方向に掘り進め 石を横に切り出した平場堀りのあとです の書かれています
坑内は太平洋戦争時は 大地下航空機工場群として 中島飛行機宇都宮製作所城山機体工場 と 中島飛行機武蔵製作所大谷発動機工場が稼動し 陸軍四式戦闘機「疾風」などが製造されていました
大谷資料館入口脇には トラックが坑内に入る入口があります ここから坑内に射し込む日の光 そして 坑内の最も奥には天井の高さ約30メートルにある穴から射し込む日の光が印象的です |