■ 足尾銅山のはじまり 足尾銅山は栃木県西部 渡良瀬川の最上流部に位置する日光市足尾町にあります
銅山の発見は諸説ありますが 16世紀中には採掘が始められていたと考えられおり 慶安元年(1648年)には徳川幕府の御用銅山となりました 産出された銅は 江戸城 芝の増上寺 日光東照宮などの銅瓦に用いられ 長崎から海外にも輸出されました 貞享元年(1684年)には1500トンの生産量を記録し全盛期をむかえましたが その後は除々に低下し 江戸時代末期には廃山同然となりました
■ 近代化による大躍進 明治10年(1877年)に古河市平衛が銅山を買収 経営に着手し 近代的手法による鉱山開発を行なった結果 同14年鷹の巣坑 同17年本口抗で相次いで直利(裕裕な鉱床)を発見することに成功し 以後 急激に発展しました 産銅量の増加に対応して 明治23年(1890年)には 水力発電所としては我が国最初に位置づけられる間藤水力発電所を完成させ 電気ポンプと電気巻揚機を設置して廃水・鉱石揚げの効率化を図るとともに 電気鉄道 架空索道 軽便馬車軌道の敷設による運搬の合理化を実現させました また 鍛錬技術の近代化に関しては 明治26年(1893年)にベッセマー式転銅法を日本で最初に実用化に成功し 高品質の精銅の製造が可能になり 生産性が飛躍的に向上しました これらの技術革新により足尾銅山は 東洋一の生産量を誇る銅山に成長しました |
■ 閉山そして未来へ 足尾銅山は昭和48年(1973年)に閉山し その後輸入鉱石による精錬が続けられていましたが 昭和63年(1988年)に精錬所の稼動も停止され 鉱石による銅生産の歴史に幕を閉じました しかし 坑内廃水の浄水処理や煙害地の植林は 明治時代から今日まで続けられています 特に煙害地の植林は 国・県・古河のみならず多くにボランティアが参加し 荒廃地であった山々の緑は回復しつつあります このように森林の保全と緑化の推進活動など 環境との共生に向けた努力は今も続けられています
■ 通洞坑 足尾銅山観光 今回の旅は 平成24年(2014年)9月19日に旅した記録です 遅い夏休み 栃木市の自宅から思川に沿って直行する県道を利用しての往復の路程 激しい雨の降る日でした R122足尾バイパスから足尾銅山観光の坑道跡の見学 その後 わたらせ渓谷鉄道の終着駅「間藤駅」を経由して JR当時の終着駅の足尾精錬所 国民宿舎「かじか荘」 小滝坑口 原向駅の車による移動です お天気がよく また 時間があれば ガイドマップをたよりに徒歩で観光したかった歴史にみちたコースだったと思います いつかは ガイドマップを頼りに歩いてみたい近代化遺産です |