櫛磐窓神 (くしいわまどのかみ) 裲裲芸命 (ににぎのみこと) が天孫降臨の際に同行した神様

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2016' SEP 24 Message

欽明天皇2年(西暦540年)、神武天皇の神霊神勅により時の国司・藤原法昌により創祀されのが本宮です。 往来此の辺りは入り海の津でしたが、神武帝の霊体出現時よりたちまち森となり、此の地は 「津森」と言われ宮所の名となったいいます。 * ♪


+ + 七段の拝殿前 五段の楼門前 三の鳥居前の階段 厳かな階段の数です。 + +

■津森神社 御祭神 神武天皇
欽明天皇2年(西暦540年)、神武天皇の神霊神勅により時の国司・藤原法昌により創祀されのが本宮です。
往来此の辺りは入り海の津でしたが、神武帝の霊体出現時よりたちまち森となり、此の地は 「津森」と言われ宮所の名となったいいます。
当初は、今より南東の丘の上に本宮があり、今は、「影向石」 と言う史跡です。宝治元年(西暦1247年)、時の将軍源の頼嗣が現在地に宮所を遷し社を建立されたといいます。
安土桃山時代末期小西行長の兵乱により領内は悉く焼かれ神田社領も没収。現在の社殿は、その後再建されたものです。
楼門には、東西二頭の狛犬が神武天皇をお守りしています。
熊本地震による破損が随所に見られ、その破損の程度や復興時期が説明板に詳細に書かれています。
■楼門
櫛磐窓神 (くしいわまどのかみ) 裲裲芸命 (ににぎのみこと) が天孫降臨の際に同行した神様、霊妙な堅い門番の神様です。
明治14年建立(西南戦争直後)、当時の貴重な杉材を使用した神仏習合の建築様式であり、大きさは県内一です。2階には梵鐘を吊り下げるようになっいます、
平成18年、大修理を行い翌2月竣工、本神宮のシンボルになっいるといいます。


■七五三階段 : 神輿
七段の拝殿前 五段の楼門前 三の鳥居前の階段 厳かな階段の数です。また、神輿の社は次のように説明されています。
お法祭りは、約六百年の伝統があり、十二地区を一年ごとに巡幸し、ご神体を次の地区へと引き継いでございます。受け前の地区は、一年間ご神体をお仮屋に安置し、地域の繁栄や家内安全を祈り感謝しながら大切にお譲りします。ご神体がこの津森神宮に戻る事とはありません。
この神輿はあくまでご神体を運ぶ乗り物です。神輿を荒っぽく扱う事が、この祭りの醍醐味となっていますが壊れた神輿は、壊した地区が修理復元することになっています。
もらった地区が一度でもなげれば修理代は相手との折半となります。
重さは、約三百グラムです。毎年修理を重ね、頑丈にするので、重くなります。現在この貴重なお祭りを後世に正しく引き継ぐために、熊本県 有形文化財を目指して申請中です。平成二十六年四月 宮司と説明板に書かれています。

■神様の避難場所 (洞窟)
戦時中、空襲からご神体を守るために設けられた洞窟、「太平洋戦争の遺跡」として貴重な資料です。広さは三畳程で、棚があります。見学希望の方はお申し出ください。と説明板があります。
熊本地震、津宮神社は境内の社殿や摂社、石造の構造物に甚大な被害が発生しました。神社は被害の状況を説明板に記し、参詣者に説明しています。社殿等はかろうじて現存していますが、周辺の民家は倒壊する建物も多く、悲しい限りの被災状況です。
熊本地震によって被災した近隣の神社の杉堂地区の潮井神社、平田地区の妙見社を津森神社が暫くお預かりしていると説明されています。

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