栃木市の風景 西方あれあいパーク かっぱ伝説の親水公園 2013

栃木県南部 西方町 東北自動車道の思川を渡る橋から見える小倉堰 西方ふれあいパーク かっぱ伝説の親水公園です

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思川(おもいがわ) 小倉堰 小倉川
西方ふれあいパーク

東北自動車道の下り線の栃木都賀JCTから鹿沼IC間を走行すると左手に川をせき止める堰が見えます
今回はこの堰を訪ねてみました 写真は公園内の水面と同じ高さですが 東北自動車道の下り車線からは川の上流と堰が見えるアングルになります
上の写真の川は思川(おもいがわ)この後 栃木市を流れ下り 渡良瀬遊水地に注ぎ込みます 堰は小倉堰(おぐらぜき) 源流は 栃木市 鹿沼市 日光市の山地です 思川を境にして南側が栃木市 北側が鹿沼市 市境の河川になります

Wikipediaによると 西方町(にしかたまち)は 栃木県南部に位置し 上都賀郡に属していた町です
町名は 南北朝時代に領主が宇都宮市の西の方にあることから西方と名乗ったことに由来し 上都賀郡でしたが 栃木市および下都賀郡との結びつきが強く 2011年10月1日 栃木市に編入合併したと されています
写真は鏡池に建てられているあずまです 池の周囲は桜や花の木が植えられ 春は一面花に囲まれることでしょう 右の写真は 小倉堰から分水された農業用水の水路路 思川(おぐらがわ)から取水された水が 栃木市の穀倉地帯を潤します

かっぱ伝説の親水公園 (かっぱひろば)
小倉川と河童 (かっぱひろば)

栃木市西方町を南北に縦断する東武鉄道日光線が思川橋脚を渡る右岸に設けられた 「かっぱひろぱ」 野球場2面と親水公園 これがかっぱひろばです

思川の右岸の堤防には桜並木があり 遠くは男体山をはじめ日光連山を見ることができる開けた親水公園です

写真の丸い石の球体は 小石を敷き詰めて描かれたかっぱ伝説の一場面をかたどった堤防斜面のすぐ脇の堤防にある 石の球体のオブジェです

平成24年(2012)12月27日発行の栃木市広報誌1月号によると 河童は地域おこしにも活躍 旧西方町時代にはかっぱ祭りも行なわれ 平成10年(1998)年の祭りでは750人が参加して202.6メートルのかっぱ巻きを完成 ギネス登録もされました

現在ではロシアで2.5キロの物が作られ当地のギネスは既に伝説となってしまった と栃木市広報誌に記載されています

かっぱひろば の説明板は次のように小倉川(思川)を説明しています
昔 小倉川 おぐらがわ(思川 おもいがわ)は 清瀬川とよばれていましたが そのころは堤防も堰もなかったときで旅人や辺りの人たちが歩いて川を渡ろうとすると ときどき河童があらわれて人々を困らせていました

ある日 西方城の重臣で小倉主膳というお侍が愛馬で乗り入れ 川を渡ろうとすると 河童が躍りでて悪さをしました
豪傑の主膳介はこの河童を捕まえ 一刀のもと切り捨てようとしました すると 河童は命だけし助けてほしいと 涙をうかべてあやまったので 「俺は小倉というもだ 今後 川を渡る者におぐらの名を聞いたら 決していたずらをするな いたずらをすると容赦しないぞ」 と言いふくめ許してやると 河童はあやまって淵のなかへ逃げていきました

それを聞いた旅人が 川を渡るときは 「俺は小倉だ」 「俺は小倉だ」 と言いながら渡るようになり 河童に悪さされることがなくなりました
そこで これで この川が小倉川と呼ばれるようになったと言い伝えられています



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