栃木市西方町を南北に縦断する東武鉄道日光線が思川橋脚を渡る右岸に設けられた 「かっぱひろぱ」 野球場2面と親水公園 これがかっぱひろばです
思川の右岸の堤防には桜並木があり 遠くは男体山をはじめ日光連山を見ることができる開けた親水公園です
写真の丸い石の球体は 小石を敷き詰めて描かれたかっぱ伝説の一場面をかたどった堤防斜面のすぐ脇の堤防にある 石の球体のオブジェです
平成24年(2012)12月27日発行の栃木市広報誌1月号によると 河童は地域おこしにも活躍 旧西方町時代にはかっぱ祭りも行なわれ 平成10年(1998)年の祭りでは750人が参加して202.6メートルのかっぱ巻きを完成 ギネス登録もされました
現在ではロシアで2.5キロの物が作られ当地のギネスは既に伝説となってしまった と栃木市広報誌に記載されています |
かっぱひろば の説明板は次のように小倉川(思川)を説明しています 昔 小倉川 おぐらがわ(思川 おもいがわ)は 清瀬川とよばれていましたが そのころは堤防も堰もなかったときで旅人や辺りの人たちが歩いて川を渡ろうとすると ときどき河童があらわれて人々を困らせていました
ある日 西方城の重臣で小倉主膳というお侍が愛馬で乗り入れ 川を渡ろうとすると 河童が躍りでて悪さをしました 豪傑の主膳介はこの河童を捕まえ 一刀のもと切り捨てようとしました すると 河童は命だけし助けてほしいと 涙をうかべてあやまったので 「俺は小倉というもだ 今後 川を渡る者におぐらの名を聞いたら 決していたずらをするな いたずらをすると容赦しないぞ」 と言いふくめ許してやると 河童はあやまって淵のなかへ逃げていきました
それを聞いた旅人が 川を渡るときは 「俺は小倉だ」 「俺は小倉だ」 と言いながら渡るようになり 河童に悪さされることがなくなりました そこで これで この川が小倉川と呼ばれるようになったと言い伝えられています |