緑輝く初夏になると白いユリの花が素敵な時間を作ってくれますね
日本はユリの国といわれるほど種類が豊富です この中でも 奄美諸島から琉球諸島にかけて自生するテッポウユリは 純白な清楚な姿と気品ある香りが世界的に好まれているよう 特に沖永良部島の田皆岬の断崖絶壁に咲く純白のテッポユリは 近寄りがたい気品と清純さが 聖母マリアの姿を彷彿させると言われています
ユリは日本でも好まれる花ですが キリスト教では 天使が白ユリを手にして現れ マリアにイエスキリストの母になることを告げたと伝えられています そして イースターやクリスマスなどの宗教儀式には必ず白ユリが供えられ 結婚式には祭壇や花嫁にも飾られています
沖永良部島のユリは 明治期にヨーロッパに輸出され 今ではユリの花といえば 沖永良部島原産のテッポウユリが一番好まれている種類のようです 今日も 愛らしく純白の素敵な花が 世界中の窓辺に飾られていることでしょう みなさんの窓辺はいかがですか
子供達が幼稚園で書いたお手紙があります みんなと一緒にクレヨンで書いた小さなお手紙 いまでもお母さんの宝物
お母さんと遊び お母さんに教えられ お母さんと笑い となりにはいつも優しいお母さんがいて
カーネーションの甘い香りのように いつまでも元気でね お母さん
武蔵野の自然を流れる野川のせせらぎは 私達の心に安らぎを与えてくれています
街角の湧水や雨水を集め 小さなあぜ道から川岸にと水量を集めていきます もう少しで 緑あふれる岸辺にアヤメが咲く季節ですね
武蔵野の森は 少しでも湧き水が増えるようにと 雨水の地下浸透や雨水を地下に貯蔵して利用する家庭が増えいてます すすみゆく都市開発の中 小さな協力の積み重ねが 豊かな水辺を作っています
人々が集い 話し合う中に 身近な自然の大切さ そして その街になにが大切なのか 少しずつ みんなの考えがいっしょになっていきます
書店で懐かしい絵本を見つけると つい手にとってしまうことがあります
小さかったとき 幼稚園の先生やお母さんに読んでもらった本に出会うと やさしかった頃の自分に逢えたよう 絵本には 小さかった頃の思い出がいっぱい詰まっています
みなさんの思い出の絵本はなんですか どうぞ お子様にも みなさんの思い出の絵本 読んであげてください
フランスでは 農産物の大量生産の中で 地域や家庭で伝えられていた特有の味や野菜本来の香りが 急速に失われていると報道されています
日本でも 同様な理由で 何年も前から野菜の香りは忘れ去られています 自然の中には 土の香り 新緑の香り 潮の香りなど 野菜に限らず いろんな香りがたくさんあります
私達は 海や丘で 景色を眺めながら 深呼吸をすることがあります これは 目に見える景色とともに 香りも感じたいと思うからでしょう
自然には 物や季節など 自然本来の違った香りがあります 食生活は 心に刻まれた記憶の中で 料理の食材を目で楽しみ 記憶の中の味で楽しんでいるのかもしれません 子供の頃に感じた 青臭い野菜の香りは 遠い 思い出の香りなのでしょうか
3月末で終了したNHKの朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の中には 日本人の忘れた食材の味 味覚 自然が深く描かれていたように思えてなりません
楽しかったお休みが終わりました 思い出 いっぱいできましたか
私達は 幸せいっぱいのときもあり また 静かに心の動きを止めるとき 何かに真剣になるとき そして こころ悩むときなど いろんな色の心があります
七色の虹のように
いろんな心の色を大切にしながら 自分に大切な ときめき 持ち続けていきたいですね お友達 そして 家族とともに
子供たちの健康で健やかな成長を祈る5節句のお祝いの日 お子様 お孫様のいらっしゃる皆様 おめでとうございます
健康で健やかな子供たちと幸せな日々を送られるご家庭のある反面 病気や事故でお子様を亡くされた方々もいらっしゃいます 先日 ポプラ社から 「空への手紙」(雲のむこうにいる あなたへ) が出版されました
天国に召された子供に 父に 母に たくさんの方の思いが綴られています 命の大切さ 生きることの大切さを考えることのできる本と思います
また ホームページ「種まく子供たち」をご存知でしょうか 小児ガンで16歳4ヶ月の生涯を終えた拓也君の闘病記 亡くなられたお子様への思い 命のたいせつさが綴られています アドレスは URL検索(横浜情報)のちびっ子情報の中の育児バージョンでリンクしています 子供の日 命の大切さ お子様と語られては いかがでしょうか
東京の原宿 南青山をひさしぶりに歩いてみました
街角のお店は 昔と変わらない雰囲気のまま 行き交う人々を思い 若かったときの雰囲気に思いめぐらしてしまいます
原宿駅の路上ライブ フロムファーストの角の席 それぞれの道を歩む友人 ただ 夢中になった時間はあのときのまま 思い出話に 遠く過ぎ去った青い心のときが懐かしい
お台場 横浜 横須賀を歩くことがあります
海を渡る初夏の風 港に停泊する異国の貨物船 子供達と遊んだ汽車道や赤レンガの倉庫群 野島公園の岸辺 港を出航する飛鳥に手を振り 横浜ベイブリッジを静かに進むクインエリザベス号にはしゃいだころ
海には あのときの あのころの いろんな思い出があります
山下公園 港の見える丘公園は花に包まれています 訪れるごとに 違う思い出を作ってくれます
みなさんも思い出の海 行ってみませんか 潮の香りと遊びに
1972年2月厳寒の軽井沢で発生した警察と連合赤軍の攻防戦の実録映画 「突入せよ 浅間山荘事件」が 5月11日から全国の東映系で公開されます
現場指揮官の警察庁警備幕僚長「佐々淳行さん」を 役所広司さんが演じています 人質の無事救出 犯人の逮捕 銃を撃つことのできない状況 過酷な現場での指揮官の苦悩 第1線の警察官の葛藤と狂気が描かれた映画のようです
佐々さん 役所さんとは縁があるよう 学生時代に佐々さんの講義を聞き 役所さんとは 別の映画の撮影で私の勤務先に来られた際 お茶をご一緒させていただいた
映画は 現代に 何を問いかけ 何を教えてくれるのか・・・。
大空に泳ぐ鯉のぼりの季節ですね 日本の国には いにしえから 5節句のお祝いがあります
1月7日 人日(ジンジツ)の節句 または 七草の節句(7日は例外) 3月3日 上巳(ジョウシ)の節句 または 桃の節句 5月5日 端午(タンゴ)の節句 または 子供の日 7月7日 七夕(シチセン)の節句 または たなばた 9月9日 重陽(チョウヨウ)の節句 または 菊の節句
これらに共通しているのは 七草 桃 菖蒲 笹 菊 と薬草が関係しています
私達の先祖は節目を尊び 今の健康に感謝して 薬草を敬ったことでしょう 5月は春祭りの季節 子供達と歴史や文化について話し合うのもいいかもしれませんね
信州の自然に遊んだ頃 長女は近くのお姉さんやお友達と花草遊びに夢中になったことがありました
公園の脇に咲く レンゲソウやシロツメグサで 花冠 花かご 指輪 いろんなものを作って
色鮮やかな春の花 小さい心に 花の種類を知り 色を知り 配色の美しさに感動しながら作った草花 自然とふれあう中で 季節の移り変わりも感じたことでしょう
教えてもらった作り方 みんなできるようになると オリジナルの花草ができてゆく 自然と遊ぶ 素敵な思い出です
私達の家は 玄関で白文鳥と黄色いセキセイインコを1羽ずつ飼っています
この鳥達 なかなかのしっかり者 玄関の鍵をカチャカチャとさせると キイキイ ガーガーと番犬ならぬ 番鳥のように賑やかなります 2羽とも手乗りの鳥ですが インコはちょっと野生化ぎみ
ペットのいる生活 いいですね 白文鳥は 肩がお気に入り 今日も だれかの肩で 遊んでいます
実家には 犬が2匹 両親の老後のお友達のよう 名前は ベベちゃんとあとなんだったっけ
東京多摩霊園の隣りに 浅間山公園があります
雑木林の木漏れ日の中に 淡い黄色のムサシノキスゲの花が咲き始めました ニッコウキスゲの変種で 東京都内では浅間山公園だけに咲く 背の低い 香り豊かな清楚な花です
武蔵野の森も 自然に咲く花が少なくなっているようです 貴重な自然 植物 生き物 みんなで大切にしたいものです
何も落ちていない 自然のままの森 たくさんの人が 浅間山の自然を大切にしていると感じた 薄曇の土曜日の午後 みなさんも 近くの自然 楽しみませんか 素敵な花が 逢いに来てくれることを 待っています
宮崎駿監督製作のアニメ映画「千と千尋の神隠し」が第52回ベルリン映画祭の金熊賞を今年の2月に受賞して以来 日本のアニメは 世界の中で不思議な広がりをたどっているようです
鉄腕アトム 宇宙戦艦ヤマト ポケモン セーラームーンが世界の子供達に人気があり 鳥山明さんの「ドラゴンボール」はフォックス社がスターウォーズに続くシリーズ化を予定しているようです
子供達に限らず大人も アニメに夢を求め 自分を同化していくことも必要だと思います しかし 食生活と同様に アニメやマンガはお菓子のケーキやクッキーのようなもので 主食のご飯にあたる勉強や読書ではないように思います ご飯はきちんと食べないと成長しないと同様に思えてなりません しかし お菓子と同様に マンガは 私達の生活に必要不可欠なものに思えてなりません
街路樹の新緑 ハナミズキの甘い花びら 公園のチューリップの花の列
たくさんの素敵な自然は たくさんの方の やさしい心が織り成す 心の絨毯なのかもしれませんね
武蔵野の森を代表するケヤキ並木も いろんな人が いろんな手入れをしています
あなたも 自然に 癒されるだけでなく 大切な自然を どこかで作ってみませんか 自然ボランティア たくさん 募集されています
長野県の春は 凍てつく寒さから 南風が運ぶ春の香りを合図に 雪が解け コブシの花が咲き始めます
氷のように硬い雪も緩み 土もやわらかくなっていきます
雪解けの季節は 信州の一番素敵なとき
小さかった子ども達と いっぱい遊んだ 北信濃の春 最高の思い出です
遠く地球の裏側から届く ラジオ局やアマチュア無線局の電波は 旅愁を思わせるものがあります
電離層 大地 海を反射しながら届く声や画像には なにか不思議な魅力があります
アマチュア無線をはじめて25年 インターネットの普及した今でも 短波には 偶然という魅力があるように思います
モールス符合の機械的な音の中にも 発信する人の個性があり 話し方のような特徴があります
みなさんも 短波帯の電波お聞きになりませんか アフリカのラジオ局の声も 聞こえています
雨音に明けた朝 窓辺にひろがる公園は白の絨毯がひろがっています
咲き急ぎ 散り急ぐかのような今年の春 武蔵野の森の春風は もう東北の山里に届いているのですね
染井吉野 山桜 枝垂桜 奥多摩の森に咲く 山桜の薄い緑の花 来週には咲き始めます
山桜 みなさんの近くにも ありますか
大人になってから 自分が通った小学校を訪れたことがありますか なかには 廃校になったり 近代的な校舎に建て替えられた方も 多いのではないでしょうか
校門にたたずんだとき 小さいときの思い出とともに 子供の頃は大きいなと思っていた 校舎 中庭 庭の花壇などが 小さく感じるかもしれませんね
校舎から聞こえるチャイム 窓辺に見える子供達 たくさんの風景の中に あの頃の思い出が セピア色に変わりながら よみがえっていきます
友達との会話 朝礼 授業 給食 掃除 反省会 たくさんの時間をすごしながら まだ陽が高いうちに終わる小学校の一日
教室にあふれていた友達のざわめき あなたを呼ぶ友達や先生の声 大切な引出しを一つずつ開けるように 大切な宝物を一つずつ手に取るように思い出されます
みなさんも 小さい頃のおもいで探しに行きませんか あのときの光り におい 音 いろんな場所に いろんな時間に あなただけの 自分探しの旅 素敵ですよ
国立の桜並木を歩きながら めぐりゆく 時の流れの 短さを感じています
私達の生活には 朝 夕 曜日 月 季節 人生 それぞれのときに たくさんの違う 時間があります
心臓の鼓動は秒針の動き 電車を待つホームは長い針の進み 二人で過ごす時間は短く 待つ時間は長い そして 過ぎ去った時間は短く 進みゆく日々も長いようで短いのかもしれません
昔の人が 自然の装いに時間を想い 山の残雪に気候を想い 雪の早さに寒暖を想うように 長い時間の流れも大切
時は 駆け足のときもあり 悠久の川の流れのようでも・・・。
子供達の通学する中学校で卒業式が挙行されました
心も身体も 立派に成長した生徒に エールを送る人々のあたたかい心がありました
友達 先生 後輩 たくさんの人々に感謝しながら 新しい道に進んでいく 希望を捨てず 夢を持ち続け 頑張ってほしい
長男は新学期から3年生 長女は2年生 今日巣立った 先輩のように 充実した日々を送ってほしい
ケヤキの若芽が春を告げ 国立の桜の並木は 学生街に旅立ちの時を告げています
南武線谷保駅から中央線国立駅までの桜並木道は 甘い香りに包まれます
素敵なお店で 語らい 風に揺れる花に 想いを託しながら 歩いてみたい
並木道には その街の あたたかさが つたわってきます 違う街 訪ねてみませんか 今週末が 満開のよう
桜の淡い花の訪れとともに 東京では富士山が 霞みに包まれていきます
夕暮れ 茜色の空に浮かぶ 富士山のシルエット
冬の 澄みきった 透明な空気は 春の香りとともに 北の国に 帰っていったのでしょうか
横浜に住んでいたとき 子供達とお散歩した 神奈川県の野島公園で見た 茜に染まる稜線 忘れられません
みなさんの お気に入りの風景 どこですか
公園に置かれた鳥達のエサ箱には 多くの鳥達が集まっています
冬枯れの頃と比べて 数は少なくなりましたが まだまだ エサの少ない季節 ミカンなどの甘い果物にはメジロ・ウグイス・・・。 ヒマワリの種にはシジュウカラ・カワラヒワ・・・。 乾燥したパンにはオナガ・ツグミ・ヒヨドリ・・・。
子供達が小さかった頃に暮らした 須坂市の家の庭は たくさんの鳥が集まり 生垣に取り付けた巣箱では小鳥が生まれました そして秋 甘くなった柿の実をオナガが美味しそうに食べる様子に ほのぼのと したり
みなさんの近くにも 鳥が集まる公園ありませんか 新緑の木々を飛びまわる小鳥 かわいいですよ ときどき訪ねる神奈川県立座間谷戸公園は 春の暖かな日差しの中 たくさんの小鳥が遊んでいます
湘南の海の輝きの中に 俺たちの朝の光景が浮かびます
極楽寺の駅の改札口 裸電球 小さな電車
遠く過ぎ去った日々の中 友人を想い 言葉を思い出す
ふと 訪ねる 思い出の場所 いつまでも 浮かぶ あのときの 涙
欅並木の若芽が葉をひろげはじめ 桜の蕾も膨らんでいる武蔵野の森
あなたの やさしさに 逢えるのも あと少し
真綿の花びらに迎えられ 風に舞う花びらとともに 別れてゆく
さよなら 元気でね いつまでも 優しい あなたのままで・・・。
星の輝きにふれると 素敵な夢が いくつも いくつも 想い ながれていきます
満天の星空を求めて 出掛けることは 現実をちょっとだけ忘れて 星という夢に逢いにいくことなのかもしれませんね
素敵な夢は 星の輝きだけでなく 仕事や日常生活の中にも いっぱい いっぱい あるように思います
いまを想い あすを模索し 見つめなおしながら 自分がどこにいて どこに向かっているのか
私達の生活 いろんな所に いろんな人々と いろんな時に 夢中になれる ロマンチックな時間が必要
星の輝きの数のように・・・。 いっぱい
悲しい思い出が 水が澄んでいくように 素敵な思い出となっていく
恨んだあなたの顔が 優しかったあのときの 笑顔に変わっていく
たくさんの思い出が 優しかった あのころのまま 心の中に綴られていきます ずっと ずっと
「もてなす」 「もてなしの心」 を耳にします
「もてなす」は ご馳走する 接待する 待遇する などと同様の響きがあります また ものを痛めないように生かして使う 相手を尊重して大切に扱う 自らの身の処し方 ふるまい方などに使われています
心や身体が疲れているとき ちょっとした他人の何気ない心遣いに慰められたり 傷ついたりします 相手の気持ちを思い遣ることが 本当の姿の「もてなし」 「心ばえ」のように感じています
雑誌やパンフレットに書かれた 「もてなしの心」 言葉の素敵な響きのように 心温まる もてなしで あってほしい
囲炉裏の炎や青白い煙に 遠い昔の人々の生活が里山とともにあったことを考えています
山に暮らし 山に生き 薪を採り 山菜や茸などの恵み授かっての生活 人々は一生懸命に 下草を刈り 小枝を集め 水を守り 自分達の里山を守り続けていたと思います
素敵な自然 素敵な里山には 清らかな水のせせらぎ 風の音 においがあります 大切にされると いっぱい いっぱい お返しをしてくれます
自然は 触れたり見ているだけではいけないと思います 自然に溶け込み 自然に対して なにができるか なにが大切なのか 武蔵野の森に問いかけています
日本の和には 形式を重んじる心 質素でくつろげる空間 繊細な気配りがあるように思います
調度品の温もり 季節を楽しむ感性 独特の遊び心
和に接すると 不思議と安らぎと豊かさを味わえると感じる人が増えてきたように思います
勤務先の研修施設から研修生が半年の研修を終え 卒業していきました
厳しい研修を終え ほっとした瞬間
しかし 卒業は 1つの通過点に過ぎません
より深く より広く これからが本当の研修の始まりだと 思ってほしい
ニフティーの音楽フォーラムは素敵なアレンジ曲が集まっています
楽譜には フォルテ フォルテシモ メゾフォルテ 作者は伝えたい曲への想いを書き 指揮者は 作曲者が思い描いた心を表現しようとします
アレンジ曲は 作曲者の心と編曲者の心が織り成すひととき
アレンジ曲には 新しい発見があります かぜ におい こころ なみだ・・・。
みなさんも聞いてみませんか アレンジ曲
細かい雪が 静かに天空から舞い降りる武蔵野の森
ちょっとセンチな休日の朝が窓辺にあります
雪は、精霊からの涙の贈り物 細かな愛の贈り物
なみだの数だけ 幸せになれるよ
心の雪が解けるころ 私の心は何色に染まるのですか
雪の彼方は 地上の雪と天空の星が調和した街
朝焼けのとき あなたと同じ色に 染まってみたい
長い旅の途中で 気がつくと いつも隣に 君がいて
こんな時間が かけがえのないものに思えるようになったのは いつからだろうか
私は きみと 旅を続ける
午前8時 列車がゆっくりと動き出したとき あなたのことが少しずつ小さくなってゆく
二人で行った梓川 思い出を流しに 幸せだったあのころのことを
きのう 中央線を復活運転のあずさ2号が西に向かって旅立ちました
一日でもいい 少しでもいい あなたと幸せだった あのときに戻りたい 淡い思い出のころに
こんなあなたの願いが いろんなところで 復活しています 行ってみませんか あのころの自分に ちょっとだけ戻るために
ラジオのスピカーからこんなことが
私たちの生活は みんな生きていく手段を確保して ぎりぎりのところで生きている 丸ごと降りるなんてできない でも ちょっと途中下車ならできるかもしれない そこに海があれば 視野を広げ 頭のフタを開け 思い込みを捨て 孤独になって これからの自分を考えよう
あなたの心が 蜃気楼みたいな言葉や押し付けの意見で頭がスカスカになる前に
立ち止まり じっと考えるのは 今なのかもしれない
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