■世界遺産 明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業 大板山たたら製鉄遺構は、世界一覧表に記載された明治日本の産業革命遺産の構成資産の1つです。 19世紀の半ばは、西洋の門出を閉ざしててた東洋の一国は、海防の危機感より西洋科学に挑戦し、工業を興すことを国家の大きな目標しいて、西洋の産業革命の波を受容し、工業立国の土台を築いた。明治日本の産業革命遺産は、1850年代から1910年の日本の重工業 (静鉄。鉄鋼・造船。石炭産業) における大きな変化、国家の質を変えた半世紀の産業化を証言している。と書かれた説明板があります。 ■遺構の概要 この遺跡は、日本古来の技術により砂鉄から鉄をつくっていた。江戸時代の製鉄所跡です。中段しながらも宝暦年間 (1751−64) ・文化年間 (1803−18) ・安政年間 (1854−60) の三期に操業しており、安政年間の建物跡が整備されています。 「山内」と呼ばれる製鉄所の中には製鉄炉 (高殿) ・事務所 (元小屋) ・鉄の塊の加工場 (鍛冶屋) ・職人住宅 (下小屋) などの諸施設がならび、全体が柵で囲まれていました。現在では、山ノ口ダムの建設により南半分が水没しており、高殿や元小屋のある北半分のみが保存されています。 ■先大津阿川村山砂鉄洗取之図 江戸時代後期に描かれた絵図で「白須たたら」 (阿武町) へ砂鉄や木炭が運ばれ、鉄がつくられていく様子がかかれています。「大板山たたら」でも同じような光景が広がっていたと考えられます。と書かれた説明板があります。 ■たたら製鉄 たたら製鉄とは、原料の砂鉄と木炭を燃焼させて鉄をつくる日本古来の製鉄技術です。 「山内」と呼ばれる製鉄所 (鑪場) には、製鉄炉 (高殿) や事務所 (元小屋) 、できた鉄塊の加工場 (大鍛冶屋) 、職人住宅 (下小屋) などの諸施設が並び、全体が柵で囲まれていました。 三昼夜余にわたる製鉄作業 (一夜) は、たいへんな重労働でしたが、作業長である「村下」の指揮の下、「大工」・「炭坂」・「番子」と呼ばれた職人達が、この作業にあたりました。 鑪場の立地条件は、なによりも良質の炭木が豊富なことです。たたら製鉄は、大量の木炭を使用するため、数十年の操業の間に周辺の山の木をすべて切り尽くし、職人達は炭木の豊富な山林を求めて集団で移動しました。
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