■ 造山古墳 (つくりやまこふん) 国宝吉備津神社から水田地帯を進むと岡山県最大の前方後円墳の造山古墳があります 写真は古墳入口の駐車場に置かれている造山古墳の石柱です
造山古墳は5世紀前半の全国第4位の規模をもつ前方後円墳で 全長340メートル 高さは 後円部30メートル 前方部25.5メートルです
造山古墳の周辺は 弥生時代になると広大な水田が開かれ 門田(邑久町) 津島(岡山市) 上東(倉敷市)遺跡などの大集落が形成されています 古墳時代になると 鉄の生産が盛んになり 備前 (備前は 岡山県の備前・備中・美作と広島県の東部の備後の周辺部)は 真金吹く備前 (まかねふくびぜん) とうたわれた地域です 造山古墳は 五世紀前半に この地域をに埋葬された豪族の首長であったと言われています
吉備は 奈良時代の吉備真備 和気清麻呂の中央政界での活躍 平安時代の末期の平氏の御家人 戦国時代の播磨の赤松氏 山陰の山名氏・尼子氏 安芸の毛利氏などによる激しい戦乱 戦乱の末期に台頭した宇喜多氏が岡山城に拠って備前・美作を所領するなど 古代の吉備の勢力範囲は 激しく変わっています |
■ 国宝吉備津神社 本殿 拝殿 祭神は孝霊天皇 (こうれいてんのう) の皇子の大吉備津彦命 (おおきびひこのみこと) とされ 皇子の霊廟としての性格の強い神社です 吉備津神社は 備中の国の一宮であるだけでなく その分祀も備前のそれぞれの国の一宮であり 吉備三か国を合わせた総一宮です 天慶3年(940年)には一品の極位に達し 一品聖霊 (いっぽんしょうりょう) と呼ばれ 他の神社の 正一位 (いっしょういち) などの位階とは明らか異なります 現在の本殿・拝殿は 火災後 応永12年(1405年)に再建されたものです 本殿は 前方の拝殿と屋根を連ねた複合社殿 正面五間(背面七間) 側面八間 厳島神社の本殿とともに全国最大の本殿です また 白漆喰塗の土壇(亀腹・かめばら)の上に建てられており 他に見られない建築様式の神社です 写真は本殿の斜め後方から撮影したものです 入母屋造を前後に二つ並べた大屋根が比翼(ひよく)入母屋造の本殿です 拝殿は本殿の後方にあります 吉備津神社の建築様式は 他の神社と比べて 本殿が大きい 亀腹が高い 比翼入母屋造である 裳階付きの拝殿である など そのどれをとっても神社建築としては異例中の異例の社殿と言われています |