岡山県 国宝吉備津神社 国分寺 古墳 吉備散策道

国宝吉備津神社 本殿 拝殿 祭神は孝霊天皇の皇子の大吉備津彦命とされ、皇子の霊廟としての性格の強い神社です。

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2011' JAN 17 Message

岡山県の国宝吉備津神社から総社宮に至る吉備の道を徒歩で散策しました 1月中旬の北風が強い日 14名の職場の同僚と寒いね頑張ろうと声をかけながらの約18キロの徒歩です 水田と古墳の小高い山を巡り 備中国分寺の五重塔を見た歴史散歩の素敵な旅です。  * * * ♪ ♪ ♪ 。


itigonet ・ Strawberry-Club TSUKURIYAMA 造山古墳
国宝 吉備津神社 本殿 拝殿

■ 造山古墳 (つくりやまこふん)
国宝吉備津神社から水田地帯を進むと岡山県最大の前方後円墳の造山古墳があります 写真は古墳入口の駐車場に置かれている造山古墳の石柱です

造山古墳は5世紀前半の全国第4位の規模をもつ前方後円墳で 全長340メートル 高さは 後円部30メートル 前方部25.5メートルです

造山古墳の周辺は 弥生時代になると広大な水田が開かれ 門田(邑久町) 津島(岡山市) 上東(倉敷市)遺跡などの大集落が形成されています 古墳時代になると 鉄の生産が盛んになり 備前 (備前は 岡山県の備前・備中・美作と広島県の東部の備後の周辺部)は 真金吹く備前 (まかねふくびぜん) とうたわれた地域です 造山古墳は 五世紀前半に この地域をに埋葬された豪族の首長であったと言われています

吉備は 奈良時代の吉備真備 和気清麻呂の中央政界での活躍 平安時代の末期の平氏の御家人 戦国時代の播磨の赤松氏 山陰の山名氏・尼子氏 安芸の毛利氏などによる激しい戦乱 戦乱の末期に台頭した宇喜多氏が岡山城に拠って備前・美作を所領するなど 古代の吉備の勢力範囲は 激しく変わっています

■ 国宝吉備津神社 本殿 拝殿
祭神は孝霊天皇 (こうれいてんのう) の皇子の大吉備津彦命 (おおきびひこのみこと) とされ 皇子の霊廟としての性格の強い神社です
吉備津神社は 備中の国の一宮であるだけでなく その分祀も備前のそれぞれの国の一宮であり 吉備三か国を合わせた総一宮です 天慶3年(940年)には一品の極位に達し 一品聖霊 (いっぽんしょうりょう) と呼ばれ 他の神社の 正一位 (いっしょういち) などの位階とは明らか異なります
現在の本殿・拝殿は 火災後 応永12年(1405年)に再建されたものです 本殿は 前方の拝殿と屋根を連ねた複合社殿 正面五間(背面七間) 側面八間 厳島神社の本殿とともに全国最大の本殿です また 白漆喰塗の土壇(亀腹・かめばら)の上に建てられており 他に見られない建築様式の神社です
写真は本殿の斜め後方から撮影したものです 入母屋造を前後に二つ並べた大屋根が比翼(ひよく)入母屋造の本殿です 拝殿は本殿の後方にあります 吉備津神社の建築様式は 他の神社と比べて 本殿が大きい 亀腹が高い 比翼入母屋造である 裳階付きの拝殿である など そのどれをとっても神社建築としては異例中の異例の社殿と言われています


備中国分寺
+ + 作山古墳  + +

■ 備中国分寺
岡山県総社市 備中国分寺 (びっちゅうこくぶんじ) 741年(天平13) 聖武天皇の発願による国分寺の一つです。

備中国分寺は 南北朝時代の戦乱による焼失後 一時は廃寺となっていましたが 江戸時代に再興されています 創建当時の境内は 東西160メートル 南北178メートルと推定されていますが 一部を除き建物などの正確な位置や規模は明らかではありません

写真は 江戸時代に再建された五重塔 高さ34.32メートルです 今回の旅は 厳冬の北風の強い日 吉備津神社から東総社駅の総社宮に向かうコースでした このコースは 駅などで配布されている自転車道を通る標準コースなどと紹介されています

ですが 逆コースがおすすめです 標準コースでは五重塔を進行方向に見える時間は短いですが 逆コースでは 遠くに見える五重塔を目印に 歩くごとに五重塔が どんどん 大きくなっていくように見えます

今回は厳冬の吉備路の旅 春の野の花の季節は 素敵な風景が見られることでしょう

■ 作山古墳 (つくりやまこふん)
国指定史跡 大正10年(1921年)3月3日指定 全長286メートル 後円部径約174メートル 高さ約24メートル 前方部前端幅約174メートル 高さ約23メートルの古墳です

写真の説明板によると作山古墳は次のように説明されています 作山古墳は 独立丘陵を加工して造られた古墳で 造山古墳に次いで5世紀中ごろに築かれた全国9位 岡山県下第2位の規模を誇る前方後円形のお墓です
斜面と平坦面からなる三段に築かれた丘は 現在では草と木で覆われていますが 築造当時は 平坦面に少なくとも5千本以上の埴輪が立て並べられ 斜面には石が敷き詰められていました
自然の景観の中にそびえ立つ巨大モニュメントは 作山古墳の南方に存在したと考えられている山陽道に先行する道を行き交う人々に 吉備の大首長の権力を誇示したものと思われます
しかながら 作山古墳は 正円形の前方部の形態も整った畿内の大王墓や造山古墳に比べ 楕円形で前方部の前端が台形に突出するなど不整な形態を持っています これは 長さと幅が不自然な自然丘陵をできるだけ手をかけず 長大に見せようとしたことによるものと思われます
畿内の大王墓にみられる二重 三重の堀が認められないこと また 本来なら取り除くべき前方部前面の丘陵がそのまま残されていることなどからも 作山古墳に葬られた吉備の首長は 畿内の大王ほど 古墳築造にかける余力がなかったのではないでしょうか
なお 作山古墳には 盗掘された大きな穴は存在しないことから 古墳の主は 今も後円部の中央地下深く眠っているものと思われます



こうもり塚古墳玄室入口
+ + + こうもり塚古墳  +  + +

■こうもり塚古墳玄室入口
JR西日本 総社駅には 昔話 「こうもり塚古墳」 と題して 次のように説明されています 備中国分寺のほど近くに こんもりとした丘のように見えるのが 「こうもり塚古墳」 こうもりがたくさんいたからともいいますが またの名を 黒媛 (くろひめ) の墓といいます
仁徳天皇のころ 吉備の豪族の娘 黒媛は 天皇にとっても愛されていましたが お后にやきもちをやかれ吉備の国に逃げ帰りました 天皇は恋しいあまり黒媛を追いかけましたが 別れはやってきました この悲恋話は いまもこの地に伝わる古代のロマンです(要約)
岡山県の国宝吉備津神社から総社宮に至る吉備の道を徒歩で散策しました 1月中旬の北風が強い日 14名の職場の同僚と寒いね頑張ろうと声をかけながらの約18キロの徒歩です 水田と古墳の小高い山を巡り 備中国分寺の五重塔を見た歴史散歩の素敵な旅です

■ こうもり塚古墳
国指定史跡 昭和42年に指定された古墳です 古墳入口の説明板には次のように こうもり塚古墳の歴史が説明されています

こうもり塚古墳は 6世紀後半に自然の丘陵を利用して造られた全長約100メートルの前方後円墳です
内部の石室は横穴式石室で 長い羨道とその奥の玄室とからなり 玄室には家形の大きな石棺が納められています
この石棺は井原市野上町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料としたくりぬき式の石棺です ほかにも陶棺や木棺が納められており 後期古墳に一般的な複数埋葬であったことがうかがわれます
この古墳は 大きな墳丘や内部の石室 石棺などにみられるように 多くの労働力を集めることのできた支配者層の墳墓であることを示しています と示されています

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