岡山県高梁市 吹屋小学校 ベンガラの街 広兼邸

「八つ墓村」 などの映画のロケ地としても知られる広兼邸 ベンガラの街 吹屋

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2011' JUN 03 Message

吹屋は 江戸時代から戦前まで 日本三大銅山の町 江戸時代末期からはベンガラの日本唯一の産地として繁栄した街です。 吹屋小学校は こうした 吹屋 のいわば絶頂期に建設された小学校校舎 1900年(明治33年) 吉岡銅山本部木敷地跡に妻平屋建の東西棟 1909年(明治42年)に中央本館が落成しています。 * * * ♪ ♪ ♪ 。


岡山県 高梁市立吹屋小学校
2012年3月閉校予定

■ 江戸時代末期からはベンガラの日本唯一の産地として繁栄した街
岡山県高梁市成羽町吹屋1290−1 高梁市立吹屋小学校は 現在も使用されている日本最古の小学校校舎です。

吹屋は 江戸時代から戦前まで 日本三大銅山の町 江戸時代末期からはベンガラの日本唯一の産地として繁栄した街です。
吹屋小学校は こうした 吹屋 のいわば絶頂期に建設された小学校校舎 1900年(明治33年) 吉岡銅山本部木敷地跡に妻平屋建の東西棟 1909年(明治42年)に中央本館が落成しています。
吹屋の街並みのベンガラ通の坂道をを進むと高梁市立吹屋小学校の建物が見えてきます 校舎の奥には松の林が広がり 風雪に耐えた木造の校舎を見ることができます 2012年3月閉校予定と報道されています 時代とともに 消えてゆく小学校 さみしいです。

■ 吉岡銅山本部木敷地跡
江戸時代後期に小泉銅山とローハ (緑礬・硫酸鉄=ベンガラの原料) 製造を営み巨大な財を成した大野呂の庄屋広兼家2代目の元治が建てた巨大な邸宅です。
「八つ墓村」などの映画のロケ地としても知られ 昭和52年と平成8年の2回 ロケが行なわれています。
城郭のような雄大な石垣と母屋・土蔵3棟・桜門・長屋は江戸時代の文化10年 (1810年) に 離れは大正時代に建設されています 敷地は781坪 (2,581平方メートル) 母屋は98坪 (323平方メートル) に及びます 庭園の水琴窟の透明な音がなごみます。
明治初期 広兼邸の向かいの山に広兼個人を祭主とする天広神社が建てられています。境内には池 築山が造られ 全体的に庭園風の様式の衆楽縁園と呼ばれています。


小泉銅山とローハ
+ + 銅と弁柄の里 広兼邸 + +

■水琴甕のある庭園
広兼邸の母屋と離れの間には水琴甕のある庭園が造られています。
写真が離れ前から楼門方向の庭園の写真です 訪ねたのは初秋 花が少なく紅葉には早い時期 そして雨 庭を飾るものは少なかったですが 春の季節には さまざまな花が咲いていることでしょう

離れは大正時代の建築です お茶室 化粧部屋 客間 風呂などが備えられたお座敷風で 当主の結婚式に一度使用されただけで 以後は使用されていません。
広兼邸は山すその建物 高い石垣を積み そこに平地を造って建てられた 富の象徴の邸宅です 当主 家族 使用人など どのくらいの人が生活していたのか分かりませんが 小泉銅山とローハ で栄えた吹屋の街の様子に想いをめぐらします。

■大野呂の庄屋広兼家2代目の元治が建てた巨大な邸宅
1707年の生産開始以来 日本唯一のベンガラ産地として繁栄した吹屋地区 そのメインストリートにあたる道沿いに ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な堂々とした商家が軒を連ねています。
吹屋は 江戸時代から明治にかけて中国筋の第一の鉱山 そして 江戸時代末期からベンガラの生産が重なり大いに繁昌したところです。

旧街道のベンガラの街並みを歩くと 往時の繁栄を感じます ですが いまは その繁栄の時も去り 歴史を偲ぶ 美観地区のようです。街並みの中央にある吹屋小学校 児童の減少によって 日本最古の小学校校舎も 2012年に廃校の予定と聞きます またひとつ 江戸時代から明治期の繁栄を象徴するものが消えようとしています。


●自然情報
■中国
■岡山 all

●赤銅色の石州瓦

●天神山

●広兼邸
■遠景
■天広神社



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