熊本県下益城郡甲佐町 木材の集積地 製糸業 あゆのやな場 石橋など歴史と風情のある町です。

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2015' JUL 11 Message

情緒豊かな藁葺き屋根のあずま屋で味わう鮎(アユ)料理は、また格別です。新鮮な鮎の刺身に、食欲をそそられる塩焼き、そして大人の味の鮎うるか。このように、やな場を紹介されてます。毎年6月1日から11月4日まで、やな場は甲佐ならではの味覚を楽しむ人でにぎわうといいます。また、やま場の駐車場脇には養蚕業を西日本に拡大した最初の契機となった緑川製糸場跡の碑があります。緑川の水質が繭から生糸を取り出す際に使う水として非常に適していたためといいます。 * ♪


+ + 緑川製糸場は東日本が中心であった養蚕業を西日本に拡大した最初の契機となった製糸場 + +

■緑川製糸場跡
製糸業は、江戸時代末期、生糸は日本から欧米への輸出品の主力品になりました。
緑川製糸場は、西洋式の最新鋭の機械を備え付けた製糸工場としては、熊本県内ではもちろん、西日本でも最初で、かつ最大の製糸場でした。
工場がこの地に設立されたのは、緑川の水質が繭から生糸を取り出す際に使う水として非常に適していたためといいます。
しかし、機械の大量生産に応じるだけ養蚕業が未発達であったことや、緑川製糸場が販売先を輸出に頼っているという問題点がありました。さらに、西南戦争により周辺地域の農地が荒れ、蚕のエサとなる桑畑が大打撃をうけたり、別の製糸工場の設立などがあって、明治15年(1882年)に休業に追い込まれます。
その後、明治30年代に入ると農民たちの養蚕熱の高まりとともに、各地に設立された製糸工場が発展していきます。
緑川製糸工場で働いていた女工たちは、家庭などで養蚕製糸の技を広め、県下各地の製糸業の発展に貢献。また嘉悦氏房の子で女子商業学校創立者・嘉悦孝子も女工として働いていました。そのとき孝子を導いてくれた「音羽先生」は、徳富蘇峯・蘆花兄弟の姉で、久布白落実女子の母にあたる徳富音羽です。


+ + 情緒豊かな藁葺き屋根のあずま屋で味わう鮎(アユ)料理は、また格別です。 + +

■竹で編んだ簀の梁(やな)漁
情緒豊かな藁葺き屋根のあずま屋で味わう鮎(アユ)料理は、また格別です。新鮮な鮎の刺身に、食欲をそそられる塩焼き、そして大人の味の鮎うるか。このように、やな場を紹介されてます。
毎年6月1日から11月4日まで、やな場は甲佐ならではの味覚を楽しむ人でにぎわうといいます。

■水路の水車
竹で編んだ簀(す)に落ちてくる鮎を捕る梁(やな)漁ですが、甲佐のやな場はもともと寛永10年(1633年)に肥後藩主の細川忠利侯の命によって造られた水田用水調節の場でした。その後、代々の藩主が毎年とれたての落ち鮎を楽しみにご来遊される場所として、広く知られるようになりました。江戸時代に殿様に愛された「お梁」の風流を、豊かな緑川は現代に伝えているのです。情緒豊かな藁葺き屋根のあずま屋で味わう鮎(アユ)料理は、格別な風情を味わえることでしよう。

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