■中原中也 わが国の文学史上に大きな足跡を残した近代詩人中原中也、明治40年 (1907) 4月29日、山口市湯田温泉に生まれた。中也は30年の短い生涯を詩のことのみ奉げ、生前充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没した。しかし、その作品は年ともに評価を高め、今や近代文学を代表する抒情詩人として揺るぎない地位を占めている。 そのすぐれた詩才は少年のころから現れていたが、昭和9年 (1934) に東京で詩集「山羊の歌」が出版されるに及び、広く詩を愛する人々に認められるに至った。さらに「ランボオ詩集」を翻訳するなど、フランスの詩人の紹介にもつとめた。 不幸病を得て、昭和12年 (1937) 10月22日、帰郷を前に鎌倉で没した。30才であった。生前郷里に引き揚げようとしてまとめた詩集「在りし日の歌」は、友人小林秀雄によって、その翌年に出版された。 中也の名声は死後いよいよ高まり、各社から出版された詩集や全集は数十冊に及んでいる。又、多くの詩選に収められ、海外にも紹介されている。 ■中原中也記念館 中原中也記念館は平成6年 (1994) 2月、郷土が生んだ詩人中原中也の業績を記念して、生誕の地に開館した。 日本の近代文学における代表的な詩人中原中也は、ここで産声ょあげ、この地から市内の小学校と中学校に通ったのである。 中原家はこのあたりにかなり広い敷地を持つ大きな医院であった。詩人の生家は昭和47年 (1972) の5月に火事で全焼している。現在、この記念館が建っている土地は、その広大な生家跡の一部である。火事の際、中也の自筆の原稿や遺品などの貴重な品々は、実弟の故中原思郎氏はじめ遺族の決死の作業によって、無事に運び出された。その後もこれらの遺品や遺稿は、遺族の手で大切に保存されてきた。この記念館を開設することができたのも、資料の散逸を防いだ中原家の努力に負うところが大きい。 中原中也記念館の建設は、中原の詩を愛する人々の長年にわたる願いであった。没後57年を経てようやく、縁の深いこの地に中原中也記念館を設立することができた。異郷で没した中也も、これで故郷に帰ることができたといえよう。 と記念館の入口にある説明板に書かれています。
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