信越本線 横川−軽井沢間の碓氷峠 廃線後も大部分の区間でレールと架線が残る鉄道遺産です |
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碓氷第6橋梁 | 碓氷第三橋梁(めがね橋) | |
横川と軽井沢を結ぶアプト式鉄道が開通したのは 明治26年(1893)でした すでに上野−高崎間は明治17年(1884)に開通し 19年から21年には 直江津−軽井沢間が開通していたので これにより東京と信越を結ぶ鉄道が完成した |
碓氷第三橋梁(めがね橋)は 碓氷線と呼ばれた横川−軽井沢間は 碓氷峠が急勾配のため 線路決定に紆余曲折し 明治26年(1893)4月開業となり 高崎−直江津間の全線が開業しました | |
丸山変電所 | 霧積 66.7パーミル | |
アプト式鉄道電化の際に軽井沢の矢ケ崎変電所とともに建設された施設で 蓄電池室と機械室の2棟が建てられています 用途廃止後もそのまま荒れるままに放置され 旧信越本線の車窓からは窓が割れ 天井が落ちているなど 痛ましい姿を何度となく見たものです |
国道18号線の旧道を霧積温泉に向う道路沿いに旧信越本線の線路跡が残されています この直線の区間をスラッジ 架線とのスパークの青白い光の連続させながら駆け上がるEF63の重連 そして軽井沢から横川に向う上り線は 低いブロワー音を轟かせて駆け下りるEF63を眺めたものです | |
とうげのゆ駅近くの旧信越本線下り線 | とうげのゆ駅 | |
平成9年(1997)9月30日 信越本線 横川−軽井沢間の最終運行日 写真のトンネルの左手前でビデオ撮影をしていました 廃止当日 上野行き特急「あさま」の最終便の1列車前で横川に向かい 最終便の「あさま」を横川駅で迎えました ダイア上はこの特急が最終の横川−軽井沢間の列車でしたが こののち臨時の普通電車が運行され この普通電車が上りの最終旅客電車になります |
碓氷峠鉄道文化むら内から碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」までの約2.6キロにトロッコ列車が運行されています 線路は平成9年に廃止された旧信越本線の下り線をそのまま使用しています | |
旧熊ノ平駅 | 碓氷峠鉄道文化むら | |
熊ノ平駅は 碓氷峠が単線であったため 上り列車と下り列車のかれ違いと 蒸気機関車への給水・給炭の目的で設置されました 碓氷線は間線鉄道でありながら その急勾配ゆえアプト式という特殊運転方式をとらざるを得ず 動脈に出来た血栓のように隘路となってしまう宿命を負っていました このため碓氷線には 常に輸送力の増大が求められ 新技術の投入によって解決が図られ 熊ノ平駅も待避線の設置や突っ込み隧道の設置などの改良を加えられました |
碓氷峠鉄道文化むらは 旧横川機関区の建物と敷地を利用して開園した施設です 横川機関区は 旧碓氷線が明治26年の開通から平成9年の廃線まで 蒸気機関車 アプト式電気機関車 粘着式電気機関車の基地として歴史を重ねた信越本線の重要拠点です | |
上信越自動車道 横川SA 上り線 急行「志賀号」 | 横川−軽井沢間の運行最終日 | |
上信越自動車道の横川SAの上り線の店内には急行「志賀号」に使われていたディゼル電車の車体が展示されています 車内に入ることもでき また 車体の近くには 横川駅名物の駅弁 「峠の釜飯」 も販売され 車内に持ち込んで食べることもできます 昭和33年2月1日から旧国鉄信越本線横川駅で販売が開始された 「峠の釜飯」 長野県に住んでいたとき 写真のディーゼル急行には乗車したことはありませんでしたが 特急 「あさま」 や 普通電車の189系「志賀号」でなんども往復したものです |
写真は碓氷峠が廃線となった当日のEF63の写真です |
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