掬月亭のお抹茶 畳の大広間から栗林公園の松と池を眺めながらのお抹茶は爽やかな一服です 春は梅の香りと遊び 秋には紅葉のもみじと遊びながら そして最も風流なのは 雪降る風景でしょうか 凛とした風情のなか 開け放たれた窓をそよぐ風 公園の隣は街の喧騒なのに ここ掬月亭は 心をそっと優しくしてくれます
お抹茶をいただいたあとは 掬月亭の中を見学しませんか 季節の花が飾られた室内 明り取りの小窓 指物の欄間 室内を明るく見せるための南湖脇の外廊下 随所にこだわりのある建物です ゆっくりと 公園を堪能することができます
掬月亭は お抹茶のほか 季節によって 昼食 朝粥のメニューもあります パンフレットなどでご確認いただき 凛とした公園でのひととき 楽しまれてはいかがですか
写真は特別名勝栗林公園 掬月亭・日暮亭 の抹茶会席 その茶碗と菓子皿について パンフレットとともに接待をいただいた係の方から右のようなの説明をいただきました
|
理平焼(理兵衛焼)は 高松藩初代藩主松平寄重公が正保4年 (1647年) 京都の森島作兵衛重利という陶工を召し抱え 慶安2年 (1649年 ) に高松へ呼び寄せて 栗林公園北門付近に窯を築いて作らせたのが始まりとされています 姓を「紀太」 名を「理兵衛」と改めさせ 以後代々「理兵衛」を襲名し高松藩の御庭焼として御用焼物師を務めました 明治維新で名を「理平」と改めますが 窯創設以来 一度も廃窯することなく現在まで受け継がれています この茶碗は十三代理平の作です ■第13代紀太理平とは 12代理平福寿の長男として生まれ 高松工芸高等学校卒業後 京都工芸指導所に入所 この間 屋島焼久保祖舜の孫にあたる久保駿太郎や栗田焼窯元伊東陶山などに師事 栗林公園北門前の祖先ゆかりの地で作陶 昭和43年に十三代理平を襲名 十三代理平は夭折し 現在は奥様の洋子氏が十四代理平を襲名して 栗林公園北門前で作陶しています ■菓子皿 肥松 (こえまつ) 伝統工芸士 有岡良益 (ありおかりょうえき) の作 樹齢数百年の松材の油分を多く含んだ中心部を肥松といいます 脂をたっぷり含んだ肥松の木工品は 美しい木目と 使用し拭き込むごとに増す飴色の光沢が特徴です |