国の史跡 香川県高松市 高松城(玉藻城)は 万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因む水城です

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高松城(玉藻城・たまもじょう)
高松城 ソテツの森

■ itigonet ・ Strawberry-Club TAMAMO 高松城(玉藻城・たまもじょう)
JR高松駅に隣接する史跡高松城 またの名を玉藻城(たまもじょう)と呼ばれています たまもの由来は 万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国(香川県)の国の枕言葉に 「玉藻よし」と詠んだことにちなみ このあたりの海が 玉藻の浦とよばれていたことによるといわれています
高松城は 天正15年(1587)に 豊臣秀吉から讃岐一国17万6千石を与えられ 国主として入府した生駒親生(いこまちかまさ)が天正16年から築城に着手した平城(水城)です 堀は3重に配置され 外堀 中堀 内堀 いずれの堀も瀬戸内海の海水を引き込んでいたといい 日本の三大水城 (高松城・今治城(愛媛県今治市)・中津城(大分県中津市)) のひとつといわれています
現在の高松城は天守閣の再建に向けて石垣の積みなおしが行なわれています 園内は松 ソテツなどが 丹精に整えられ 四季の花も楽しむことができます また 月見櫓 太鼓櫓跡などが当時の城の面影を残しています

■ソテツの森
披雲閣の南側に 琉球ソテツの森があります 披雲閣は 松平藩時代 高松城の三の丸に 現存の披雲閣の2倍の書院風建物があったといい 明治5年(1872)年に老朽化のため取り壊されましたが 大正6年(1917年) 当時の金額で15万円と3年の歳月をかけて 再建された建物です
写真のソテツの森は 披雲閣の南側の築庭にあります 松平藩の別邸の栗林公園のソテツの森の説明板から ソテツは 島津公(鹿児島県島津藩)から贈られた琉球産のソテツであり 樹齢はおおよそ300年以上と書かれています このことから 披雲閣の南側の築庭のソテツも同時期に植えられたソテツと思われます
ソテツ(蘇鉄、学名:Cycas revoluta)は 裸子植物ソテツ科の常緑低木です 主に九州以南の海岸近くの岩場に生育しますが 温暖な地域では 記念樹として 公園 官公庁や学校などに植えられています 私が高松市内で勤務していた建物の玄関脇にも 大きな株のソテツが2本植えられていました
JR高松駅 サンポート高松のすぐお隣です 海風にふかれながら 散策できる落ち着いた史跡公園です 生駒家と 松平家 併せて15代の城主の歴史と結ばれるよい機会になります



+ + 日本の三大水城 (高松城・今治城(愛媛県今治市)・中津城(大分県中津市)) のひとつといわれています + +
春の園内 春の小路 披雲閣 披雲閣

旧太鼓櫓跡(艮櫓) 桜の馬場
+ + 三の丸 桜御門跡 + +

■ 旧太鼓櫓跡(艮櫓) 桜の馬場
玉藻城の南東にある 旭橋 旭門 玉藻城の駐車場からの入場門となるところです
旭橋 旭門から玉藻城に入城すると旧太鼓櫓跡になります 写真は旧太鼓櫓跡に移築された艮櫓です 艮櫓は もともと玉藻城の東之丸の北東の隅 (現在の県民ホール) にあった 艮櫓 を移築したものです 昭和40年 それまで旧国鉄が管理していた艮櫓を 高松市が譲り受け 東之丸から旧太鼓櫓跡に移築復元し 現在に至っています
艮櫓の完成は 延宝5年(1677年)頃とされ 玉藻城の北東の方角が丑寅の方角ということから艮櫓の名前になったとされています 玉藻城の瀬戸内海側である北に位置する月見櫓と同時期につくられたといい 艮櫓は三層三階 入母屋造 本瓦葺で 形は月見櫓の造りと共通点がありますが 初層に 大きな千鳥破風があるのが特徴とされています
■披雲閣から見た桜御門跡 写真は 玉藻城内から旧太鼓櫓跡(艮櫓)方向を見ていますが 写真の右手には 桜の馬場 写真の手前が 桜御門跡になります。

■ 三の丸 桜御門跡
三の丸入り口の披雲閣の南に桜御門跡があります 桜御門は 昭和20年(1945)の高松空襲により消失しています その後 再建されることなく石垣だけが残されています
高松市が発表する「桜御門」の復元整備を予定は 構造の詳細が分かる鮮明な写真が発見されたことにより 門の屋根上の鯱(しゃちほこ)は口が大きく開いた豪華な形状 最上部の棟飾りの瓦積みは これまで2段積みと考えられていたが 1段と判明したとしています
大きく口を開けた桜御門の屋根の鯱は 城跡の北東にある三層構造の月見櫓に設置されたものに形状が似ており 平屋の門に設置する鯱としては 通常よりも豪華で丁寧な細工が施されているといいます
高松城(玉藻城)は 江戸時代の姿に忠実に再現されつつあります 高松駅 高松港に隣接する高松城は 栗林公園とともに 高松を代表する歴史遺産です ぜひ 訪ねていただければ幸いです

桜御門跡 桜御門跡

国の史跡 香川県高松市 高松城(玉藻城)は 万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因む水城です
高松城(玉藻城)の堀の水は海水 城の北側を通っている国道30号線の下をくぐって瀬戸内海とつながっています 潮位の変化に連動した水面の上下と海から堀に入り込むタイやスズキなどの魚が堀を泳ぐ姿を見ることができます 


+ + 北ノ丸 月見櫓 水手御門 渡櫓 + +
報時鐘

■ 北ノ丸 月見櫓 水手御門 渡櫓
月見櫓は 延宝4年(1676年)に上棟された建物です 3重3階で 南側に続櫓と呼ばれる櫓が付属しています 月見櫓は着見(着くのを見る)から名付けられたと言われています
月見櫓は 付属の続櫓とともに 昭和22年(1947年)に 国宝(現在の重要文化財)の指定を受けています
月見櫓等の修理は 松平家によって昭和8年(1933年) 高松市によって 昭和30年から32年(1955年から1957年)に行われています 月見櫓からは 瀬戸内海を一望できることから 海上の監視塔としての役割が考えられるとされています

月見櫓 月見櫓

■ 報時鐘
写真の鐘は 高松城(玉藻城)に隣接する玉藻公園の玉藻緑地に再建された報時鐘(ほうじしょう)です 高松城(玉藻城)と道路を挟む瀬戸内海の間の公園にあります
次の写真は月見櫓の脇から見た瀬戸内海と四国フェリーの乗船場です 城の脇に道路が設置されるまでは月見櫓脇の門まで瀬戸内海の海に面していたことでしょう


+ + 玉藻城の西門 + + + + 玉藻城の堀の水は海水 + +

■ 玉藻城の西門
写真は 高松城(玉藻城)の西門です
写真の手前がJR高松駅 左手が高松港 右手が高松琴平電鉄の高松築港駅になります 瀬戸内海の海までは左手方向で100メートルほどの場所です

西門を入ると右手が二の丸跡の広場です 季節によっては盆栽 苗木 花などが販売されています 西門を直進すると水門です 高松城(玉藻城)の堀の水は海水 この水門と呼ばれる門によって高松港の海水が導水されています このため 堀の水量は潮の干満によって水位が変動します

水門脇の説明板は この水門を次のように説明しています
この高松城は 北は海 三方に濠(堀)をめぐらし海水を引き入れた日本三大水城の一つとして名高く 完全に海水を堀に入れた城は この高松城だけである

■ 玉藻城の堀の水は海水
築城当時は外堀 中堀 内堀を有し66万平方メートル(約20万坪)という広大な城域を誇り 堀には海水を満々と湛えて美しい姿を水面に映していたが 明治初期に中堀の一部と外堀が埋められ 現在は 往時の9分の1ほどの堀になっています

高松城(玉藻城)の堀の水は海水 城の北側を通っている国道30号線の下をくぐって瀬戸内海とつながっています 潮位の変化に連動した水面の上下と海から堀に入り込むタイやスズキなどの魚が堀を泳ぐ姿を見ることができます ■水門説明板

水門の脇には鯛などの魚用の浮き餌が販売されています 玉藻城では鯛にちなんで 大願成就を鯛願城就というようで 鯛願成就(たいがんじょうじゅ)の のぼりが見られます 鯛などの魚は 引き潮のときに水門に集まるといいます 干満の時刻を調べないといけませんね


+ 秋の玉藻城 +
+ + ど根性松 + +

■ 秋の玉藻城
秋の玉藻城は、櫨の木の紅葉が見られます。櫨の木は木蝋燭の原料の漆科の木です。淡い黄色から濃い赤とモミジとは違った風情があります。松の緑と櫨の木の紅葉。秋を楽しむ木々の少ない玉藻城では、数少ない秋の風情です。

■ど根性松
北ノ丸 月見櫓 水手御門 渡櫓と披雲閣の間にある木戸の脇に「ど根性松」が生えています。
説明によると「ど根性松」は、景石の上に落下した松樹の種子が岩の亀裂に根を下ろし成長したもので、樹齢は、1994年の確認以来、およそ19年(2014年現在)。果たして成木に成りえるか? そっと見守りたい と書かれています。


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