■四国霊場 第78番札所 郷照寺 宇多津港を見渡す高台にあり、「厄除うたづ大師」として信仰を集めている郷照寺は奈良時代神亀2年 (725) に行基菩薩により開基し「道場寺」と称しました。 弘仁6年 (85) にはこの地を弘法大師が訪れ自ら尊像を刻み厄除けの誓願をなされ密教の霊地とし栄えました。 のち、時宗の開祖一遍上人が全国遊行の折に逗留され浄土の教えを広め、多くの民衆の帰依を受けました。この時出来た法縁にてこの寺は真言宗と時宗の両宗にわたる寺として四国札所中唯一の霊場となりました。 室町時代には守護大名 (細川家) の庇護を得て大いに栄えたが、元亀・天正の兵火により堂塔伽藍を焼失、寛文4年 (1664) に再興されました。 その時の往持・浄阿上人と徳川遠祖の関係により時宗に属し、江戸時代は松平藩により本堂や客殿「観海楼」などが建築され手厚く保護されました。 今日は「厄除けの寺」として又、宗旨宗派を超えた寺として信仰を集めています。 ■釣り鐘と龍神さま 「良く鳴るようになったつりがね」 江戸時代、この郷照寺の釣り鐘が割れて鳴らなくなり和尚さんは大変困りました。ちょうどその折大阪・堺からお遍路に来ていた腕の良い鋳物師に直してしてもらうことになりました。その時、鐘を鋳なおす材料にと、山に蓄えていたたくさんの銅鏡を「とみくま村」の庄屋さんと運んでくれたお爺さんがいたのですが、いつの間にか姿が見当たらなくなり、お礼を言おうとみんなで探しましたが、消えていなくなっていました。その鏡のあったところは、川津の山だったことから、お爺さんは春日の明神さまだろうとみんなで噂しあいました。 鏡を入れて作り直した鐘はとても良い音で鳴り、遠く対岸の本州まで聞こえ、その音色に誘われて龍神が現れたそうです。 太平洋戦争のとき、日本国内の金属は飛行機や爆弾を作るために集められましたが、この郷照寺の釣り鐘は歴史的な価値があるということで免れ、今日まで宇多津の町を平和の鐘として守ってきました。 と境内の説明板に書かれています。
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