■国宝 松本城 安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定されています。また、松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といい、市民からは別名烏城 (からすじょう) とも呼ばれています。 松本城は、戦国時代の永正年間 (1504-1520年) に、松本平の信濃府中 (井川) に井川館を構えていた信濃守護家小笠原氏 (府中小笠原氏) が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。 後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏、木曾義昌、上杉景勝、小笠原洞雪斎と城主が移り、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名したとされています。 天正18年 (1590年) 豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移ったことにより、石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行ったといいます。 その後、大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家 (戸田氏の嫡流) が代々居城としています。 松本城の天守閣からは、北アルプスの山々、美ヶ原高原の峰々が一望できるほか、城下町松本の整然とした街路の街並みを見ることができます。
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