松山市の中心部 勝山にそびえ立つ松山城は 賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の一人 加藤嘉明が築いた四国最大のお城です。

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2010' JAN 30 Message

松山城 市街中心部の勝山(標高132m)にそびえ立つ城。賤ヶ岳 (しずがたけ) の合戦で有名な七本槍の1人 「加藤嘉明」 が築いた四国最大のお城で、門櫓・塀を多数備え、狭間や石落、高石垣などを巧みに配した攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城。
日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓は、現存する12天守の城郭うち、松山城と彦根城に見ることができます また 韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸に見られます。
松山城は松山市街のどこからも見える城です。登城口までは路面電車が便利です。また、天守までは、下の写真のロープウエイやリフトが便利です。 * ♪


+ + 松山城 加藤嘉明が築いた四国最大の連立式天守城 + +

■ 松山城 四国最大の連立式天守城
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にある城です。
別名、金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)とも呼ばれます。
松山城は、昭和初期の1933年に大天守を除いて焼失しましたが、大天守を含む21棟の建造物が現存し、それぞれ国の重要文化財に、城郭遺構は国の史跡に指定されています。
そのほか、昭和初期に焼失した、連立式天守群の小天守以下5棟のほか塀を含む22棟が木造で復元されています。
松山城の見学・登城は、4つのルーがあります。城の東側には、リフトとロープウエイ、そして、東雲口と呼ばれる東側からの登城道、また、西側からは二之丸史跡庭園を起点とする舗装された登山道と別ルートの小道が整あります。

+ + 松山城は 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓 + +

■ 松山城 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓
愛媛県松山市の中心部 勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は 賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人 加藤嘉明が築いた四国最大のお城 門櫓・塀を多数備え 狭間や石落とし 高石垣などを巧みに配し 攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城と言われています。
松山城は 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓があります この野原櫓は 現存する12天守の城郭うち 松山城と彦根城に見ることができます また 韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸に見られます。
堀之内を含む城山公園全体が国の史跡に指定されています また、「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。

+ + 門櫓・塀を多数備え 狭間や石落とし 高石垣などを巧みに配し 攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城 + +
太鼓楼 石垣 乾門 戸無門下のツツジ

乾門から見た小天守
坂の上の雲

■ 松山城 乾門から見た小天守
松山城は 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓があります。
この野原櫓は 現存する12天守の城郭うち 松山城と彦根城に見ることができます また 韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸に見られます。
堀之内を含む城山公園全体が国の史跡に指定されています また 「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。

十間廊下・北隅櫓 馬具楼

■ 松山城山樹
標高132メートルの城山は、松山市街のどこからも眺めることがでる松山市の象徴です。
加藤嘉明が慶長7(1602)年築城を始めたころははげがやまでしたが、その後アカマツが植林されて山一面を覆い松の山になったと伝えられています。
現在は、アカマツがツブラジイなどの勢いに負けて数少なくなっていますが、ツブラジイの群落に混じって、クスノキ、アラスシ、ホルトノキ、アベマキなどの大木が茂っています。
その林の下には、アオキ、タラヨウ、ヤブニッケイ、シロダモ、などの照葉の常緑樹があり、さらにその下には、いろいろなシダ類も見られます。
また、ここには、シノノザクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノなどの桜も多く。 種子植物、シダ類を合わせると 約 550種 の植物がここに茂繁しています。 と松山市教育委員会 の案内説明板に 書かれています。

■ 司馬遼太郎の長編歴史小説
「坂の上の雲」は、封建の世から目覚めたばかりの日本が、登って行けばやがてはそこに手が届くと思い登って行った近代国家や列強というものを「坂の上の雲」に例えた作品です。秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規の3人を主人公に、松山出身の彼らが明治という近代日本の勃興期を、いかに生きたかを描き、青春群像小説の面が強調されています。

■ NHKスペシャルドラマ坂の上の雲
日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。
坂の上の雲の案内板の写真と同じポーズの場所は、天守前の券販売所を右に進むとあります。


+ + 松山城二之丸史跡庭園 恋人の聖地 + +
表御殿跡と奥御殿跡に大別されます

■ 松山城二之丸史跡庭園
松山城二之丸史跡庭園は 表御殿跡と奥御殿跡に大別されます 現在の庭園は江戸時代の二之丸の配置を忠実に再現した配置構成を復元した区割りになっています 右の写真をご覧いただけれとお分かりになると思います 表御殿跡は北半分にある「柑橘・草花園」各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現し 奥御殿跡は西南部にある「流水園」で水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています

月見櫓 月見櫓 月見櫓

■ 表御殿跡と奥御殿跡 東側の「林泉庭」は、露岩を背景にした池や滝を配置して 「わび」 「さび」を表現しています 松山城二之丸史跡庭園の中心には 発掘によって発見された大井戸遺構があります 二之丸における水の確保の状況がわかる貴重な遺構です 松山城二之丸史跡庭園からは小天守 馬具櫓 太鼓櫓などの松山城の城跡も見ることができます 園内は自由見学路 奥御殿流水園は 江戸時代の御殿の建物配置位置を再現した御殿の配置図ともいえます


+ + 二之丸史跡庭園 二之丸多聞櫓 + + + + 二之丸史跡庭園の春はアヤメと藤の花 + +

■ 松山城二之丸史跡庭園 二之丸多聞櫓
松山城二之丸史跡庭園 二之丸多聞櫓は松山城の南西の位置にあります JR松山駅に一番近い方角の櫓です 松山城の堀を巡る散策路はこの多聞櫓の周辺です 近隣には県庁 松山市役所 裁判所などの官庁街があります 多聞櫓からの天守の登城は 写真の奥に登城路があり 天守のすぐ手前の馬具楼に至っています 急な勾配の坂ですが 森林の中を登城できます 定番の登城とは反対方向ですが 四季の花を楽しめる登城メートです

■ 二之丸史跡庭園の春
松山城は四国最大の城で 松山市の中心部の勝山(標高132m)にそびえ立つ城です 築城は賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人 加藤嘉明です JR松山駅 伊予鉄道市内電車(路面電車)を乗り継ぎ 城山ロープウェイや登城遊歩道などで天守閣に行くことができます 二之丸史跡庭園は天守から馬具楼脇を案内に従って下ったところにあります 定番のロープウェーとは反対の位置です ぜひ 訪ねていただければと思います


+ + 秋山 好古 (あきやま よしふる) 像  + + + + 秋山 真之 (あきやま さねゆき) 像 + +

秋山好古 安政6年1月7日生 昭和5年11月4日没 (1859−1930) 松山藩士秋山久敬の三男として松山市中歩行町に生まれる。海軍軍人真之は実兄。
明治10年陸軍士官学校、16年陸軍大学を経て騎兵科を志す。20年フランスへ留学。
日清戦争では騎兵第一大隊長、後に騎兵学校長となり、明治陸軍の騎兵科で「戦略的機動集団の騎兵」として強化発展させ、騎兵の父と仰がれた。日露戦争では騎兵第一旅団長なり、世界最強のコサック騎兵と奉天海戦等で戦い、敵の退路をおさえる陸戦最後のダメ押しに大功があった。第一及び近江師団長を経て、大正5年大将となった。朝鮮軍司令官、教育総監、軍事参議官と陸軍の要職をつとめた。その後乞われて北予中学(現松山北高)の校長となり、後進の育英に尽力した。
司馬廉太郎の小説「坂の上の雲」に弟真之とその親友正岡子規の三人が主人公となり、それぞれの人間と人生が語られている。
この像は昭和45年1月に再建された。と像雪に設置されている説明板に書かれています。
秋山 好古は、昭和5(1930)年5月11日没 享年72歳

秋山真之 明治元年3月20日生 大正7年2月4日没 (1868−1918) 松山藩士秋山久敬の五男として松山市歩行町に生まれる。
15歳で上京し、親友の正岡子規と下宿した。その後、明治19年海軍兵学校に入学し、同校を首席卒業。日清戦争を経て米国に留学、マハン戦術(近代米国海軍術)を極めた。日露戦争で連合艦隊司令長官東郷平八郎の作戦主任参謀として活躍、日本海海戦ではバルチック艦隊を迎え、伊予水軍伝来ともいわれる「丁字戦法」を駆使し、意表を衝く敵前旋回で敵艦隊を撃滅し、戦局の大勢を決した。なお、この時掲げたゼッZ旗の「皇国ノ興廃此ノ戦ニ在リ各員一層奮励努カセヨ」の文は、真之の作である。
大正6年中将に進んだが、翌年病死。
この像は、石手寺境内にあったものを昭和43年9月に移転した。と像雪に設置されている説明板に書かれています。

秋山兄弟の銅像は、伊予鉄道高浜線「梅津寺駅」から約5分にある見晴山・大丸山にあります。

秋山 真之は、大正7(1918)年2月4日没 享年51歳

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