■ 松山城 乾門から見た小天守 松山城は 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓があります。 この野原櫓は 現存する12天守の城郭うち 松山城と彦根城に見ることができます また 韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸に見られます。 堀之内を含む城山公園全体が国の史跡に指定されています また 「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。
■ 松山城山樹 標高132メートルの城山は、松山市街のどこからも眺めることがでる松山市の象徴です。 加藤嘉明が慶長7(1602)年築城を始めたころははげがやまでしたが、その後アカマツが植林されて山一面を覆い松の山になったと伝えられています。 現在は、アカマツがツブラジイなどの勢いに負けて数少なくなっていますが、ツブラジイの群落に混じって、クスノキ、アラスシ、ホルトノキ、アベマキなどの大木が茂っています。 その林の下には、アオキ、タラヨウ、ヤブニッケイ、シロダモ、などの照葉の常緑樹があり、さらにその下には、いろいろなシダ類も見られます。 また、ここには、シノノザクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノなどの桜も多く。 種子植物、シダ類を合わせると 約 550種 の植物がここに茂繁しています。 と松山市教育委員会 の案内説明板に 書かれています。
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■ 司馬遼太郎の長編歴史小説 「坂の上の雲」は、封建の世から目覚めたばかりの日本が、登って行けばやがてはそこに手が届くと思い登って行った近代国家や列強というものを「坂の上の雲」に例えた作品です。秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規の3人を主人公に、松山出身の彼らが明治という近代日本の勃興期を、いかに生きたかを描き、青春群像小説の面が強調されています。
■ NHKスペシャルドラマ坂の上の雲 日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。 坂の上の雲の案内板の写真と同じポーズの場所は、天守前の券販売所を右に進むとあります。 |