松山市姫原 国道196号線にある市街地の伊予鉄バスのバス停 「姫原」 古事記が綴る悲恋の地です。

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2015' FEB 22 Message

伊予鉄バスのバス停 「姫原」 松山市姫原にある国道196号線にあるバス停です。
伊予鉄バスのバス停の表示板は、下り方面が従来の鉄製の丸い表示板ですが、上り方面は、電光表示板でバスの到着予定時刻を表示されるものです。
姫原には、古事記が綴る悲恋の歴史があり、その故事が姫原の地域の起源となっといいます。
周辺の里山は、伊予山の辺のみち 春には桜が咲く のどかな散歩道です。


+ + 姫原の地名の由来 + +

■ 姫原の地名の由来
伊予鉄バスのバス停 「姫原」 松山市姫原にある国道196号線にあるバス停です。
伊予鉄バスのバス停の表示板は、下り方面が従来の鉄製の丸い表示板ですが、上り方面は、電光表示板でバスの到着予定時刻を表示されるものです。
姫原には、悲恋の歴史があり、その故事が姫原の地域の起源となったといいます。
古事記は語ります。
道紀元435年、允恭 (いんぎょう) 天皇の皇太子、木梨軽太子 (きなしかるのみこ) は、実妹・軽太郎女  (かるのおおいらつめ) と許されない恋におち、太子は伊予の湯に流された。 姫は恋しくてたまらず追いかけて来たが、二人はついに、この地で亡くなられた。
「姫原」 というこの地には、二人を祀った 「軽之神社」、 神社の奥の山裾に二人の塚と言われる比翼塚があります。 比翼塚には見事な桜があり、里人はこの桜を大切にしています。付近のミカン畑には 「お能畑」 「客畑」 など、何かしら由緒ある地名が残っています。
姫原は 「古事記」 に綴る 悲恋な物語の地。 と、 説明されています。

+ + 古事記の軽王と軽大郎女  + +


■ 古事記に見る 「梅原」
古事記は語る。 木梨之軽王は、允恭天皇の崩御の後、天皇に即位しないうちに、同母妹の軽太郎女と密通した。
このときのお歌は
あしひきの 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下どひに わがとふ妹も 下泣きに わが泣く妻を こぞこそは 安く肌触れ
意味は、学研文庫 梅原猛著 「古事記」 によると 山田をつくっているが、山が高いので、地の中を樋をつくって、こっそり水を引く。そのように、こっそり言い寄った恋人を、こっそり泣いたわが妻を、今夜こそ、思う存分愛撫することができる。 と 歌っていると説明されています。
古事記は、続きます。 捕えられた軽王は、伊予に流されようとするとき、お歌いになる。
「あまとぶ 鳥も使いて 鶴が音の 聞えむえむ時は 名問はさね」 意味は、空を飛んでいる鳥もわたしたちの使いなのだ。鶴り泣く声が聞こえたならば、わたしのことを鶴に聞いてくれ。 と 歌っていると説明されています。
離れ離れとなった軽太郎女は恋しさに耐えきれず、ついに軽王の後を追って、伊予国に行かれた。そのときの、お歌いになった。
こもくりの 泊瀬の山の 大丘には 幡張り立て さ小丘には 幡張り立て 大丘よし 仲定める 思い妻 あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 起てり起りても 後も取り見る 思い妻 あはれ。 と 歌っています。意味は、泊瀬の山の、大きな丘には幡立て、小さな丘にも幡立て、大きな丘と小さな丘が仲良く並んでいる。そのような仲の良い、わが愛する妻よ。ああ、槻弓のように寝ているときも、梓弓のように立ってるときも、やさしく愛撫していたおまえを、末永くいたわっていたと思うのであるが。ああ。可哀想なことだ。 と 歌っています。
姫原に関する古事記の最後の段。 「こもりくの 泊瀬の河の 上つの瀬に 斉杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斉杙には鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉なす あが思ふ妹鏡なす あが思ふ妻 ありと言はばこそよ 家には行かめ 国をも偲ばめ と 歌っています。
こう 歌って、間もなく、一緒に死んでしまわれた。

+ + 軽之神社 比翼塚  + +


■ 軽之神社 軽太子の塚
軽之神社の境内に設けられた松山市教育委員会の説明板は、軽之人事やと軽太子の塚を次のように説明しています。
允恭天皇の皇太子木梨軽太子と軽大郎女の兄妹を祀る。
「古事記」 によると、軽太子は同母の妹軽大郎女と許されぬ恋におち、太子は伊予の湯に流された。
姫は恋しくてたまらず追いかけて来たが、二人はついに 「自ら共に死にたまひき」 とある。 「日本書記」 では、軽太郎女が先に流されたとある。
村の人たちは二人の霊を哀れんで神社を建て毎年四月二八日に祭礼を行っている。
軽太子と軽大郎を古事記は語る。 木梨之軽王は、允恭天皇の崩御の後、天皇に即位しないうちに、同母妹の軽太郎女を祀った比翼塚がこの東の山裾にあり、その側に二人の詠んだ歌を刻んだ歌碑が建てられている。 と 説明されています。
神社の北側にはため池があります。また、神社からは西側は傾斜地になっており、松山市街地が遠望できます。
■ 比翼塚
比翼とは、二羽の鳥が互いに翼を並べるのをいいます。これから転じて相思の男女をいっしょに葬った塚を比翼塚といいます。
古事記の時代から江戸時代のものまで各地に残っており、墓石を寄り添うように建てる形などがあります。軽太子の塚は、比翼塚の一つです。
比翼塚の陵墓内には歌碑があり、次のように恋心が刻まれています。
木梨軽太子の 「天飛ぶ鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」 (空を飛ぶ鳥は使いだ。鶴が鳴くときは私のことを尋ねてくれ。) と詠み 軽大郎女は 「君が行きけ長くなりぬ 山釿の迎へを行かむ 待つには待たじ」 (お迎えにまいります。待ちきれません。) を詠んでいます。 「山釿」とは、植物のニワトコのことです。

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