香川県三豊市詫間町 日本海軍詫間海軍航空隊跡 この基地から50数名の若者が「神風特攻隊」として出撃 南の空に散っています

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2010' SEP 16 Message

香川県三豊市詫間町 日本海軍 詫間海軍航空隊跡 第二次世界大戦の戦時下の1943年6月から終戦まで 大型飛行艇隊を有する海軍の有数の基地が置かれていた場所 この基地から50数名の若き隊員が神風特攻隊として出撃し 南方の戦地に散っています
昭和19年10月から詫間補給所の施設を利用して修理工場を建設し 基幹技術者に徴用工員・増川女子挺身隊員・女子年少工・観音寺商業と善通寺高女の動員学徒等を加えた約800名の陣容で 各種飛行機の修理に精根を尽くした 被弾破損した飛行機を一刻も早く飛ばそうと 必死の思いで業務に邁進した若い力が 二式飛行艇を決戦の空へ飛ばし続けたといいます。 * ♪


香川県三豊市詫間町 日本海軍 詫間海軍航空隊
史跡 詫間海軍航空隊戦跡 碑

写真の「史跡 詫間海軍飛行隊跡」の碑は 香川県三豊市詫間町 JR詫間駅から荘内半島に向かう詫間市コミュニティバス詫間線「香川高専前」下車 徒歩約5分 同詫間駅からタクシーで約10分の距離に詫間海軍航空隊跡はあります
第二次世界大戦の戦時下の1943年6月から終戦まで 大型飛行艇隊を有する海軍の有数の基地が置かれていた場所 この基地から50数名の若き隊員が神風特攻隊として出撃し 南方の戦地に散っています

詫間海軍飛行隊の詳細は 1997年7月 合併前の旧詫間町教育委員会から 「詫間航空隊物語」 が発刊されています 香川県の戦時下における海軍基地の姿 特攻隊員の壮絶な絶叫 戦争がもたらした深い悲しみ 戦跡の碑は 英霊を慰め続ける人々が守り続けています

2010年(平成22年)8月3日の毎日新聞 香川版22P四国見門録 詫間海軍航空隊の戦跡を報道する紙面は 香川県の戦跡の歴史を改めて報道することになったと思います

特攻基地は鹿児島県知覧だけと思われますが 香川県詫間の詫間海軍航空隊からも神風特攻隊として出撃し 南方に散った歴史を伝えてゆかなくてはと思います

現在の詫間海軍飛行隊跡は 国立電波高専 および 民間の化学工場群になっています ただ 戦時中の遺構も数多く残されているといいます また 荘内半島を訪ねたときに 海岸に残されている戦時中の遺構を訪ねてみます
下の項目では左上の史跡 詫間海軍飛行隊跡の記念碑の記載の文字をお伝えします

現在の詫間海軍飛行隊跡の工場群 碑文の前段 現在の詫間海軍飛行隊跡の国立電波高専 碑文の後段

詫間海軍航空隊の建設は昭和16年11月に発表された 香田・和田内地域の突然の土地買収は住民にとって死活問題であった また 新浜に呉海軍軍需部詫間補給所が建設され 三地区で合計136戸(買収面積約37町歩)が立ち退くことになった 移転に伴なう労苦は筆舌に尽くし難いものであった

建設工事は呉海軍施設部が担当し 地元の勤労奉仕隊員を加えて官民一体で行われた詫間空は昭和18年6月1日に開隊され 水上機の実用教育を担当した 主要配備機は九四式水上偵察機 二式飛行艇等であり 各地から二千余名の兵員が着任し 連日猛訓練が展開された 昭和19年9月、横浜海軍航空隊は沖縄攻防戦に備えて主力を詫間に移すことになった この時点で ここ詫間は大型飛行艇隊を擁する水上機の一大作戦基地になった

昭和20年4月25日 第五航空艦隊は決戦態勢を整えるため 全飛行艇部隊を統合して実戦部隊詫間海軍航空隊を編成した 詫間空配備の二式飛行艇は高速性能のうえ大型レーダーを装備しており 米軍戦闘機と死闘を繰り返しながら 終戦の日まで第五航空艦隊の目となって活躍した 銀河爆撃機で米軍機動部隊をウルシー泊地に強襲した第二次及び第三次丹作戦では 長駆進撃路の天候偵察や特攻機隊の誘導で活躍した これら作戦で二式飛行艇27機と250名の精鋭を失った

写真は記念碑から見た現在の詫間海軍飛行隊跡の工場群です また 小さな写真の詫間海軍航空隊防空壕跡は 横穴式防空壕で 空襲の際に 航空隊基地に勤務する兵隊が空爆が止むのを待ったとされています 奥に続く闇の中 戦争がもたらした深い悲しみが広がるようです

昭和20年2月16日 全小型機による特攻訓練の実施が発令された 詫間空では 水上偵察機による神風特別攻撃隊琴平水心隊を編成した 同時期 茨城県北浦・鹿島両海軍航空隊で編成された神風特別攻撃隊魁隊が詫間空に進出 両隊は猛訓練の後 鹿児島県指宿を前進基地として沖縄周辺の艦船に体当り攻撃を敢行した

指宿では先行した整備員が発動機調整・燃料補給・爆弾装着等の整備に心血を注いだ上 断腸の思いで出撃を見送ったという 4月28日以降四次にわたる出撃で25機が米軍艦船に突入し57名の若者が沖縄の空に散華した これら詫間空の戦闘を強力に支援したのは 第十一海軍空廠詫間工場である

昭和19年10月から詫間補給所の施設を利用して修理工場を建設し 基幹技術者に徴用工員・増川女子挺身隊員・女子年少工・観音寺商業と善通寺高女の動員学徒等を加えた約800名の陣容で 各種飛行機の修理に精根を尽くした 被弾破損した飛行機を一刻も早く飛ばそうと 必死の思いで業務に邁進した若い力が 二式飛行艇を決戦の空へ飛ばし続けたのである

戦後五十有余年 詫間海軍航空隊跡地は国立電波高専と民間工場等に 十一空廠跡地は詫間中学校に転用され わずかに水際四箇所のスベリと横穴式防空壕を残すのみとなっている 我が国今日の繁栄は祖国の防空に殉じた将兵や多くの人々の犠牲に負うことを銘記し 再び戦争の惨禍が起こることのないよう 恒久の平和を念願して 詫間海軍航空隊跡を詫間町の史跡に指定する

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