■大隈重信候 大隈重信候は、天保9年2月16日、佐賀城下会所小路に佐賀藩士の大隈信保・三井子夫妻の長男、幼名は八太郎。参議兼大蔵卿、外務大臣、農商務大臣、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣、貴族院議員などを歴任。早稲田大学の創設者であり、初代総長 大正11年(1922年)1月10日に胆石症のため早稲田の私邸で死去、1月17日に私邸での告別式ののち、日比谷公園で未曾有の「国民葬」が催された。その名が示すように、式には約30万人の一般市民が参列、会場だけでなく沿道にも多数の市民が並んで大隈との別れを惜しんだといいます。
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■大隈記念館 大隈重信候生誕125周年を記念し、昭和42年に建設されたもので設計は早稲田大学教授今井兼次先生によるものです。 ■設計者のことば 中央に立つ一対の巨柱から四方に放射する構造架構体に、老候が抱負とする東西文明調和の理念を託し、さらに、建築を人間化することによって造形的変容、あるいは、 巨岩や大樹の躯幹、樹根のごとき躍動感を求めた。 なお、階段室の頂光窓からふりそそぐ色光には、老候母堂の恩愛の慈光とも申すべきものを秘し、また、真紅の窓硝子に老候の 緋のガウンを回想せしめた。 老候のことばが記念館の表現にいささかでも生かされ、そこに対話が生まれてくればと念じている。(一部略:拡大写真に全文を掲載) |