■福を呼ぶ けやき水源の水神様 宮原附近一は阿蘇溶岩の隙間から水が湧き、その湧水の中心がけやき水源です。この地に人が住み始めた縄文時代から今日まで、変わらず湧き続ける湧水に水の神がお祭りされました。阿蘇氏が小国郷支配下に入れた頃、小国郷の守り神として両神社がお祭りされ、その門前には市がたち、小国郷の中心として栄えるようになりました。江戸時代になると町並みも整い商家も並び、その中頃から、この水神様も祭礼が行われ、朝に夕に生活の中心となりました。 江戸時代後期、小国郷でも両神社を舞台に富くじが始められました。近くの商家橋本順左衛門は毎朝、この水神様や両神社にお参りすることを日課としました。ある朝この井川に船が入る夢をみた順左衛門は、吉兆と感じて富札を買い、見事に一番くじを当てました。その正夢の話を聞いた城尾村市郎右衛門は、一年以上もこの水神様に通い続け、見事に両神社と久住宮富くじに前後四回、一番くじを当てました。順左衛門や市郎右衛門は社会への恩返しとして、道を石畳にし橋を架け直しました。その一部は今も残っています。順左衛門は、その後も水源の夢を見て、鯛生や鹿児島の菱刈に金脈を探し、見事金を堀り当てました。 その頃から、その水神様は福運を呼ぶと信じられ、水源の夢から、戦地で命の助かった人、温泉を掘り当てた人、宝くじに当たった人など、福運の話が今日までつづいています。 ■けやき水源の大ケヤキ 小国町の中心地、宮原の中を流れる静川沿いには処々にケヤキが自生し、その木の近くには必ず水源が見られます。 水の恵みをもたらすと言われるケヤキの中でも、特にこの水源の大ケヤキは樹齢千年を迎えると言われています。 この大けやきのおかげで湧水は枯れることなく続き、何百年にも渡り地域の人々は生活を営む事が出来ました。 今、このケヤキにも大きな穴が空き老いの時期を感じさせますが老いて増々、盛大に枝を広げ、春には枝いっぱいの新緑をまぶしくかがやきます。 湧水のエネルギーと大木のエネルギーが一体となり、ケヤキ自らも元気になると共に訪れる人々にもやすらぎと元気を与えています。 さらにこのケヤキの穴をくぐることで大きな生命のエネルギーを得ることが出き、気力があふれるのを感じる事が出きます。 宮原上町 と書かれています。
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