■大洲城 台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は国の重要文化財 大洲城(おおずじょう)は伊予国喜多郡大洲(現愛媛県大洲市大洲)にあります 大洲は 伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道が交差し また 東には四国山脈を抜けて土佐国(高知)に抜ける街道があります
大洲城の創建は 鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房で 1331年(元徳3年)のことであるといわれています
大洲城は 創建した当初は 肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれていました 江戸時代初期 藤堂高虎らによって大規模に修築が行なわれ 近世城郭としての体裁を整えらています 石垣の曲線美も本当にみごとです ■人柱伝説 「おひじ」 大洲城は「比志城」とも言います 右の写真は、大洲城の天守から見た肱川です 肱川河口の長浜では 初冬の朝 肱川あらし という霧のあらし嵐がが吹き渡るといいます これは 大洲盆地で発生した霧が肱川を下り 白い霧を伴った冷たい強風が河口に吹き下る現象で 肱川河口の高台から見ると いくえもの霧の帯が瀬戸内海に豪快に吹き流れ込む様子は まさに 自然の偉大さ 自然の美です 大洲城も また 伝説があり それは人柱伝説です 川に面した高石垣の工事が難航したため 人柱を立てる事となり くじによって「おひじ」という若い女性が選ばれ おひじはやむなく生き埋めにされ人柱となった その後 工事は無事完了し おひじの最期の願いにより 大洲城下に流れる川を肱川と名付け 大洲城を「比志城」とも呼んだといいます
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