■吉田松陰生誕地 吉田松陰の実家、萩藩主杉家の(家禄26石)旧宅地、この付近は「団子岩」と総称され、萩城下を一望できる風光明媚な場所です。 杉家の建物は、元は萩藩主八谷聴雨の山荘であり「樹々亭」と称していました。松陰は、天保元年(1830)、杉百合之介の次男として生まれ、19歳までの人間としての形成期を過ごしました。 両親や兄弟とともに農耕に従事し、その合間には父から漢籍の素読などを受けた、思い出深い場所です。松陰自身の書き残した書の中にも、「樹々亭」「山屋敷」「山宅」などの表現が見られます。 旧宅の間取りは玄関(3畳)、表座敷(6畳)、居間(6畳)、隠居部屋(3畳)、納屋(3畳)、台所、それに別棟の納屋と厩という、非常に狭く、簡素な造りでした。 嘉永6年(1853)に杉家が転居した後、いつしか建物などは失われ、荒れ果てていたが、大正11年(1922)に椿東村青年会会長信国顕治が、青年会員に呼びかけて整備しました。当時の間取りを示す旧宅の敷石も、後に住んでいた人の記憶によってこの時復元したものです。 整備に合わせて山県有朋が「吉田松陰先生誕生之地」石碑の題字を揮毫しています。肩書きを「門下生」のみとしているところ、師に対する謙譲な気持ちが現れています。なお、山県有朋は整備完了前に死去したので、これが絶筆となっています。 と書かれた(一部要約)説明板があります。
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