大井谷の棚田米は美味しいことは広く知られており、江戸時代には津和野藩主への献上米としての歴史があります

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2017' AUG 11 Message

大井谷地区は、古文書「吉賀記」によると今から約600年前の戦国の頃、大内氏に仕えていた三浦重経の一族が開拓したとと記されています。棚田は、古くは室町時代から藩政時代に築かれたもので約600年の間、幾度の補修や積み直しを経て現在に引き継がれています。 * ♪


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■日本の棚田百選 大井谷の棚田
1 棚田の歴史
大井谷地区は、古文書「吉賀記」によると今から約600年前の戦国の頃、大内氏に仕えていた三浦重経の一族が開拓したとと記されています。棚田は、古くは室町時代から藩政時代に築かれたもので約600年の間、幾度の補修や積み直しを経て現在に引き継がれています。
2 大井谷地区の概要
大井谷地区は戸数21戸、人口80人弱で、この内農家は18戸ですべて兼業農家です。棚田の水田面積は30年前の17ヘクタールから約8ヘクタールに減少ています。うち水田の作付けは減反政策や農家の高齢化、米価の低迷により6ヘクタールまで落ち込んでいます。
3 大井谷の棚田米
大井谷の棚田米は美味しいことは広く知られており、江戸時代には津和野藩主への献上米としての歴史があります。お米が美味しい理由は、棚田が南向きで日当たりが良く、水がきれてで、昼夜の温度差が大きいなどの自然の恵みと、この歴史ある棚田を大切に守ろうという農家の心意気によるものです。助はんどうの会では、美味しい棚田米を多くの人に味わっていただくために道の駅「かきのきむら」などで販売しています。
4 助はんどう
助はんどうとは、大井谷のいちばん上にある岡屋敷(屋号)という家の横に置かれた直径1.2mの石で、その中心は深さ30cmに削られています。干ばつの年にここだけに溜まるわずかな水を飲んで住民が生き延びたことからこう呼ばれるようになりました。この石にちなんで、大井谷の棚田保全の会は「助はんどうの会」と名づけられました。
5 保全に向けた取り組み
大井谷地区では、棚田を活かした地域づくりを行うために平成10年4月、地元住民で組織する「助はんどうの会」を結成しました。棚田米の販売をはじめ、棚田オーナー制度や棚田トラスト制度、都市交流イベントの大井谷棚田まつり等を開催して棚田保全に向けて理解と協力を呼びかけています。
と20台程度が駐車できる駐車場の説明板に書かれています。駐車場脇には展望台も整備されています。

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