■大日比ナツミカン原樹 ナツミカンは山口県に発祥した柑橘であり、橙、夏橙、夏柑などと呼ばれ、ほのかな芳香をはなつ白い花は、山口県花として全国的に紹介されています。 大日比が発祥地となった由来は、江戸時代中頃(18世紀頃)西本チョウが海岸に流れついた果実の種を撒いたとも黄波戸の堀田某から貰ったとも伝えられています。
その後、弘化4年(1847)家屋改築の際、伐り払った根元から再び芽を出して成育したものが原樹として指定されたものです。 その黄色の果実は、はじめ鞠の代わりに用いられていたが、寛政4年(1792)頃から食酢として地元で栽培され、やがて、文化年間(1804−1817)に萩に移出され、食用として接木増殖法によって広まり、藩主毛利敬親の奨励もあって城下町萩に定着した。 明治維新後、小幡高政が士族授産事業に結び付けて普及奨励したことで、全国的にも有名になった。 ■長門ナツミカン物語 原樹の隣のナツミカンの木 私は、となりの原樹とまったく同じDNAを持つナツミカンです。 原樹に万が一のことがあってはいけないとの思いから私が育てられてるのです。ある日ね当時の橋本県知事から「山口県萩柑きつ試験場」に、大日比ナツミカン原樹が弱っているので守ってほしいとの電話がありました。 その後、昭和56年に山口県萩柑きつ試験場の方によってとなりの原樹の枝の一部が切り取られ、試験場内の一角に植えられ今日まで大切に育てられてきました。平成20年3月末で山口県萩柑きつ試験場が閉鎖されるのを機に、生まれ故郷の長門市大日比に帰ってきました。 原樹脇にそれぞれある説明板に書かれています。
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