■成瀬仁蔵 日本女子大学校 初代校長 成瀬仁蔵は安政五(1858)年6月23日、この地で誕生されました。 成瀬家は代々吉敷毛利家につかえる士族の家であり、先生は明治維新の動乱を身近に感じながら、藩校憲章舘などで学ばれました。 明治9(1876)年、山口県教員養成所を卒業し、小学校の教職についておられましたが、同郷の先輩、澤山保羅氏によってキリスト教に入信し、のち、牧師として大阪・奈良・新潟などで伝道に努められました。この間、梅花女学校・新潟女学校の創設にあたり、女子教育にも力を尽くされました。 明治23( 1890)年、米国に留学、帰朝後、日本最初の女子高等教育機関の設置に奔走され、有志の協力を得て明治34(1901)年4月、東京目白台に日本女子大学校を開校されました。以後、同校校長として女子教育の向上、発展に努められると共に、日本の教育の改良と進歩に尽力されましたが、大正8(1919)年3月4日60才で東京において没せられました。と説明板に書かれています。 NHK朝の連続テレビ小説「朝が来た」の成瀬氏の姿が思い出されます。 成瀬仁蔵の生誕地は、山口市内から秋吉台に向かう国道435号線沿いです。9号線から435号線に入り約1キロ先の左に出光のガソリンスタンド、右にセブンイレブンの先の信号機のある交差点を左折、約100メートル先の公園が成瀬仁蔵氏の生誕地です。生誕地は公園として整備されていますが駐車場はありません。ただ、公園の入口に軽自動車一台がやっと駐車できるスペースはあります。また、生誕地の目印として、交差点の手前の電柱(たぶん見落とす看板)に生誕地の案内板があります。あっ、ここだったのか。と、迷いました。
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