■四国霊場 第52番札所 太山寺 四国八十八か所の52番札所です。龍雲山護持院と号し、本尊は十一面観音菩薩です。 この寺の開創説話に、炭焼き小五郎にちなむ伝承の「一夜建立の御堂」があります。豊後国 (大分県) の炭焼き小五郎が黄金を発見して真野長者にとなった。あめとき、船が難波に向かう途中、高浜沖で大嵐にあったが、龍雲山 (経が森) に光明を見て助かった。翌日、山に登ってみると、小さな草堂に十一面観音が祀られていた。長者は霊験に報いるために、国に帰り、材を船に積んできて、一夜で堂宇を建立したという話しである。この真野長者堂は、現在、本堂横に祀られている。 寺伝によると、この寺は、天平11 (739) 年、聖武天皇の勅願により僧行基が開いたという。平安時代には、冷泉から近衛までの歴代天皇が十一面観音像を奉納している。 伊予の豪族河野氏は、嘉元3 (1305) 年と文明17 (1485) 年に本堂、松山藩主加藤嘉明、松平家歴代藩主の帰依を受け、今日に至っている。松山市教育委員会と書かれた案内板があります。 ■本堂 (国宝) 本堂は、四国霊場第52番札所、鎌倉時代 (嘉元3年、1305年) に建てられたもので、桁行七間 (16.38メートル) 梁間九間 (20.91メートル) 屋根入母屋造り、本瓦葺きで木造建築では愛媛県下最大の建物です。その構えにふさわしく木組みは大きな柱にすべて円柱手法は和様であるが、天笠洋式や唐洋式をとり入れ鎌倉時代特有の雄大豪壮な建物です。柱間に多数使われている蟇股の曲線は美しく当時の名工の作品で稀にみる傑作です。厨子のある内陣が土壇であるのは日本でただ一つと言われています。 また、三王門は、三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺建築は和様であるが柱はすべて円形でいずれも礎盤をそなえた唐様の手法がみられ鎌倉時代の特徴を伝える建物です。
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