■くじら資料館 有情の碑 通浦では延宝元年 (1673) 頃から綱取法によって捕鯨が始められ、明治末期まで長洲捕鯨の中心をなしていました。 捕鯨した鯨に対する報恩感謝を願う人情厚い捕人たちにわって、鯨墓を元禄5年 (1692) に左山手の清月庵に建立しました。 墓地には、70数体の鯨の胎児がまだ見ぬ大海の夢を抱いたまま、地中に永眠しています。平成3年3月 長門市教育委員会と書かれた碑があります。 ■国指定史跡 青海島鯨墓 山口県北浦沿岸は古くから捕鯨が行われていたことが知られるが、ここ通浦では延宝元年 (1673) から網取法による鯨組が始められ、明治末期まで北浦捕鯨の基地として繁栄しました。 この捕鯨操業時の延宝7年 (1679) 、通浦の向岸寺五世誉上人は、隠居所てあったここ清月庵に観音堂を建立して、捕鯨した鯨の回向 (浄土宗における法要のこと) を始めた。その後元禄5年 (1692) に鯨組の網頭たちによって鯨墓が建立される。 この鯨墓は花崗岩でつくられており、高さ240cm、幅46cmで墓の正面に大きく「南無阿弥陀仏」、その下に「業尽友情雖放不生、故宿人天同証仏果けと陰刻されている。 この意味は、「我々の目的は本来おまえたち胎児を捕まえるつもりではなく、むしろ海中に逃がしてやりたいのだ。しかしおまえ独りを海に放ってやっても、とても生き得ないだろう。どうか憐れな子等よ念仏回向の功徳を受け、諸行無常の悟りを開いてくれるように」というものである。 墓の側面には「元禄5年任申5月、願主設楽孫兵衛、池永藤右衛門、早川源右衛門」と三人の網頭の名が刻まれている。 またその背後には元禄5年から明治時代にかけての鯨の胎児70数体が埋葬されている。長門市教育委員会と書かれた説明板があります。 くじら資料館を見学の後、資料館前の売店で鯨肉を買い求めたかったのですが、入館時に開店してお店も、見学後には閉店していて買い求められなかったのが、悔やまれます。
|