■美祢線 於福駅 於福 (おふくえき) と読みます。 於福の地名については、諸説あります。 1 「防長風土・注進案」によると、山城山にこかねのつるしありしを掘り出し時「山子供・ふおふふく・おふふくと呼しより於福と唱え来たりしと申店傳候へ」とある。 2 「於福風土記」によると、大化の改新の後、律令命令がしかれ、山陽山陰連絡路の宿駅・駅家 (ウマヤ) 意福の里と言われ、早くから連絡路として利用も多く延喜の代、長門の国駅家に、阿津、鹿野、意福、の名が見られると記している。 3 「於福村勢要覧」には、今から五百年前この地の城主、平佐雅楽守は戦国の無情を感じて、他国に出家し修行中、その夫人於福御前は夫の帰国を断念し、城中にあった軍資金を費やして、田畑を開通し、この地を開拓した。 この開拓の大功労者の徳を後生に伝える為に於福村と称しとある。と駅舎脇の説明板に書かれています。
■於福 地域交流ステーション 旧駅舎事務室は、改装され於福 地域交流ステーションとなっています。台湾の子ども達とも交流の様子、SL時代や昭和のときの祭りの風景などが展示されています。訪ねた際に、常駐の係員の方に招かれ、美味しいコーヒー
いただきながら於福の歴史を教えていただきました。本当にありがとうござます。 於福は、右のバーの於福でも案内しておりますが、水神公園のそうめん流し、於福洞の水の流れなど、さまざまな自然描写が見られるところです。田園地帯の散策の後、道の駅のかけ流しの温泉で遊び、電車で帰られる旅もよいと思います。
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