■若宮八幡宮 社殿 御祭神 誉田別命 (応神天皇) 、息長帝比売命 (孝功皇后) 、市杵島姫命、たぎ津姫命、田心姫命、相殿に高おおかみ神 (雨の神) 御創建 文治元年 (平安末期、西暦1185年12月30日 御由緒 鎌倉幕府の基礎を固めた源頼朝公は、祖父、為義公の慰霊ち源家の長久を祈り、京都六条に左女牛若宮を創建し、土佐國吾川郡一円を同社の神領地として寄進した。その神領鎮護の神として、石清水八幡宮の御分霊を御勧請したのが当社である。(以上「吾妻鏡」より) 鎌倉、室町の時代を通じ、特に武家尊崇の神社として栄え、ことに戦国時代の永禄3年 (1560 5月、長宗我部元親公は初陣に臨み、当社の馬場先の松原 (現鎮守の森公園) に陣を張り、一夜戦勝を祈願し、長浜城を攻め落す。以来、当社を戦勝祈願の第一社と定め、社殿を出蜻蛉式建築と改める。これに対し、一宮の土佐神社を凱旋報寶社とし、入蜻蛉式に改めたことから、両社は対をなす土佐独特の神社建築となっている。 慶長5年 (1600) 山内一豊が新しく土佐の国守に封ぜられ、当初、浦戸城に、その後大高坂城に移住されてからも崇敬の念篤、祈願八社の中の一社として、年々の祭典を厳修され幕末を迎えた、 維新後、明治6年 (1873) には郷社に、昭和5年には県社に列せられる。戦後は宗教法人として長浜、御畳瀬、浦戸、瀬戸、横浜、横浜新町の総鎮守として、更に厄除開運の神、安産の神、海上安全の神、戦勝祈願の神、雨の神として広い信仰を集め、今日に至っている。 なお、昭和60年 (1958) 12月には、御鎮座八百年祭が盛大に斎行され、記念事業として社務所の改築や境内の整備が行われた。と御由緒書に書かれています。
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