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「宇高航路」 は 一部 画像とタイトルから説明のページまたは写真がご覧いただけます。 | Last Update2010/07/31 |
■ 宇野−高松 航路 四国フェリー
1956(昭和31年)2月16日 高松−宇野間の貨物定期航路として開設された定期フェリー航路
四国フェリーの旅客扱いは 1966(昭和41年)12月 徐々に運行本数を増やし 最大一日50往復体制としていましたが 2008(平成18年) 燃料高騰により平日44往復・休日40往復に減便 更に 併行して運行する宇高国道フェリーとの運行調整を行い 2009(平成21年)12月20日には 一日22便まで減便しています
そして 2010(平成22年)2月12日 航路を競合する宇高国道フェリーとともにに事業廃止を提出し 同年3月26日限りの宇野−高松間の航路の廃止が申請されました
その後 関係機関との協議等を経て 2010年(平成22年)3月11日 高松−宇野航路の事業廃止届がを取り下げられ 運行が継続されていましたが 平成24年10月17日 宇高国道フェリーは運行休止となりました 51年間の運行 再開は難しいよう 悲しいことです
■ 宇野−高松 航路 国道フェリー
四国フェリーと同様 宇野−高松間を運行するフェリー 航路は うこう ですが 国道フェリーは うだか 国道フェリーといいます 四国フェリーとの並行航路のため 以前は 夜間を含む 全航路で 荷客の争奪の歴史が伝えられています
四国フェリー 国道フェリーとも 高松に転勤となった2009年当時 一日50便体制 (終日28分ごとに1便体制) 四国フェリーと国道フェリーの同時の出発もあり 両社の2隻が前後して 宇野港に向かう光景が普通に見られました
それが 瀬戸大橋の休日割引 経済の低迷の影響とされる減便と航路廃止の申請 そこまで 本州と四国の物流が低迷しているとは思いませんでした
2009(平成21年)それまで運行されていた津国汽船(本四フェリー)が宇高航路から撤退しています 国策や経済の低迷による社会情勢の変化は 瀬戸内の物流や基本的な交通路の存続にも影響が現れています
本州から四国 また 四国から本州 18Km 60分の海峡 ゆっくりとした船旅びで四国においでください 途中の航路は 大型の貨物船 タンカーも見えることでしょう そして おむすびの形の山も見えます 自動車や鉄道の旅もいいです でも 潮風の中 いにしえの船旅で いらっしゃいませんか 四国
■ 備讃瀬戸東航路 海上自衛隊 潜水艦
直島港から高松港に向かう四国汽船の汽船あさひから見た備讃瀬戸東航路を香川県高松方面から広島県呉港方面に航行する海上自衛隊の潜水艦です
いままで 海のイベントで港に停泊している潜水艦や呉の海上自衛隊の岸壁に停泊している潜水艦を見たことがありましたが 実際 海を進む潜水艦を見たのは初めてでした
大阪などの海上自衛隊の基地から出航したのでしょうか それとも太平洋の海を潜航したあと 呉の海上自衛隊の基地に戻る潜水艦なのでしょうか
備讃瀬戸東航路は 一日に約900隻の船が往来するとといます 潜水艦のほかにも自衛隊の艦船も往来していることでしょう あさひ丸は 備讃瀬戸東航路を横断するように進んでいたました あさひ丸の左手から右手の方向に進む潜水艦 本当に偶然の遭遇 なにか わくわくしてして 写真を撮影しました
■ 備讃瀬戸東航路
雨の宇高航路と備讃瀬戸東航路の交差する付近を航行する四国汽船のフェリー 高松港を出航したフェリーは 右に女木島を望みながら 一路 瀬戸内海の交通の大動脈の備讃瀬戸東航路を横切ります
一日約900隻前後が航行する海の街道 大型タンカー 貨物船 そして地域の漁船の操業と その操舵には細心の注意が必要な海だと思います
写真のフェリーは2階建て 一階部分は自動車の搭載部分 二階が乗船客のスペースです 晴れた日には屋根といいますか 屋上の部分も利用できます 潮風と遊び 行き交う船を見るには 屋上のスペースがおすすめです
約1時間の短い船旅 宇高連絡船の当時は 連絡船うどんといって うどんを食べられるコーナーがあったといいます 高松港が四国の玄関口であった当時 多くの人が 宇野港を出て 約1時間の短い乗船時間でうどんを食べ 少しずつ近づく高松の港を見ていたことでしょう 瀬戸大橋の下を見た写真は こちらからご覧いただけます■瀬戸大橋
■ 赤灯台 サンポートの桟橋
フェリーの発着桟橋を遠くに望むサンポート高松赤灯台への桟橋です 遠くに見える土色のビルがサンポート高松 山並みは五色台の稜線です
赤灯台は高松港の入口の灯台 せとしるべ といいます この灯台は 世界で初めて灯台の外壁にガラスブロックを採用したクリスタルな灯台 赤色のクリスタルが夕日に輝き 夜は灯台の内部の照明が灯台全体を赤色に染めています 宇高航路の基幹港の入口として その風格を醸し出しています
写真では桟橋を歩く人の姿がありませんが 平日 休日を問わず多くの人が桟橋を散歩され 潮風と穏やかな瀬戸内海を楽しんでいます 観光客 釣り人 健康のために歩かれている方 さまざまです 桟橋の床が木でできていて 足腰にやさしい造りもいいです
夏は夕日が海に沈みます 爛熟した夕日 海面に輝く金色の光の帯 恋人たちの時間です
■ サンセット サンポートの輝き
宇高航路の海は 素敵な水面を楽しませてくれます 朝日に輝く淡い水面 夏のぎらぎらの太陽の凪の水面 でも サンセットの黄金色に輝く水面がもっとも素敵な時間かもしれません
サンポート高松は 夏の季節 海に沈む太陽を見ることができます 上の写真は赤灯台の桟橋から見た日没一時間前の輝く水面です 雲の間から差し込む黄金の光に 海はいっせいに輝きを増してゆきます
薄い雲のある日は 雲が黄金色に輝き 快晴の空の日は 真っ赤に燃える爛熟の太陽が水平線に沈み 夏の一日がすぎゆきます
夏の季節 ぜひ 宇高航路のフェリーから爛熟の夕日を見ていただきたいと思います 瀬戸大橋に沈む夕日 橋脚が黒く浮かび上がり 電車の窓のひとつひとつが黄金色に輝きます
ふんわりとした海風 展望デッキ 光につつまれる 素敵な時間です
■ サンセット 光の芸術
写真は2010年7月21日午後7時32分の高松港G地区の岸壁から見た夕日後の光の帯です
高松の夕日は夏の時期は瀬戸大橋が架かる瀬戸内海の海に沈み 冬の時期は高松市と丸亀市の境にある五色台の山に沈みます この日は高松港から見て 瀬戸内海に浮かぶ大槌島の北側稜線に沈む夕日でした 水平線に沈んだ夕日は その後 写真のように 素敵な光の芸術を見せてくれました 何回も訪れているG地区の岸壁 これほど すばらしい夕日を見たのは初めてです
瀬戸内海の上空 そして その先の岡山県 広島県の上空に雲がなく 水平線に沈んだ夕日は 黄金の帯を夕空に輝かせます 西の空の全体を染めるのではなく 高い山の影響なのか 一部は光の帯ができていません いくつかの自然のタイミングが織り成す 光の芸術です
この日に 宇高航路に乗船していれば 船上からすばらしい夕日を見ることができたでしょう
■ 宇高国道フェリー うどん & ビール
宇高連絡船の当時 デッキに讃岐うどんのお店があったといいます 宇高連絡船の記念展示施設にある写真には デッキの後部でしょうか うどんを求める人の列が写されています
いまも 宇高国道フェリーの船内 そして 小豆島航路の船内で うどんが販売され 往時の味が楽しめます 写真ではビールとともにですが なかなか 美味しいうどん ただ 昼間の便だけの販売のようです 販売の時間帯をご確認ください
うどんは 高松港の宇高国道フェリーに併設されているコンビニエンスでも 食べることができます フェリーの待ち時間にうどん 駅の立ち食いそばの気分です
今回は夏の旅 冷房の船内でいただきました 宇高連絡船の当時は 船内ではなく デッキで販売されていたのでしょうか 海風と遊びながら ふう ふう しながら食べる 讃岐うどん 食べてみたかったなと望郷してしまいます
■ 赤灯台 せとしるべ
高松港のシンボルの赤灯台 せとしるべをたかまつ丸の甲板から撮影したものです
日中の赤灯台は 濃い赤色の姿ですが 夜になると 灯台全体が赤色に点灯し 実際の光の点灯は上部の電球が赤色に点滅します
夜 遊びに行った 瀬戸の島からの帰りの便 ちょうど赤灯台の少し前 船内には高松港に到着するアナウンスが流れます それと同時に いままで直進していた船は 大きく左右に舵を切り 高松港のそれぞれの岸壁に向けて進んでゆきます
赤灯台 せとしるべ 高松港の道しるべ 夜 真っ赤に光る灯台は 高松港の長い岸壁にマッチしています 赤灯台 船の船上から そして せとしるべの桟橋を歩いて 訪ねてみてください
■ 宇高連絡船 パンフレット
想い出をありがとう 宇高連絡船の最終のころのパンフレットの主題です パンフレットにはこう綴られています
明治43年6月12日の処女航海から96年余(注:下記参照)・・・ 宇高連絡船は 桟橋で繰り広げられた幾多のドラマを静かに見守ってきました
高らかに鳴り響くドラにウエディングマーチが重なり合い 二人の新しい出発を祝福するドラマティックな船出 出会いと再開 テープが切れても離せなかった切ない別れ プラットホームから連絡船乗場へと続く階段を駆け抜けたもの 今は昔
連絡船の うどん を食べないと 旅から帰った気がしなかったのも 懐かしい 連絡船 心に響く想い出をありがとう 連絡船 心の風景としていつまでも 瀬戸大橋架橋とともに連絡船の時代が過ぎて この別れを一番惜しんでいるのは いつも連絡船とともにい瀬戸の海かもしれません
注:処女航海から96年余は パンフレットの発行されたときの年数です 連絡船は78年間の就航で廃止されています
■ 国鉄宇高連絡船鉄道レールモニュメント
JR高松駅とフェリー埠頭の間にある3階建の建物 その入口に 写真の 宇高(うこう)連絡船鉄道レールモニュメントがあります
宇高連絡船は 1910年(明治43年)6月12日に国鉄の連絡船として就航以来 瀬戸大橋が開通した 1988年(昭和63年)4月10日までの78年間 本州と四国を結ぶJRの大動脈として歴史を刻んだ航路でした
当時の桟橋は埋め立てられ連絡船の遺構はありません ただ 写真のレールモニュメントが造られているたけです 宇高連絡航路は 現在 四国フェリーと宇高(うたか)国道フェリーの2社がフェリーを24時間体制で運航しています しかし 高速道路の休日1000円の影響から乗船客や自動車の乗船が激減し 航路の廃止が発表されたこともありました 四国にとっては 大切な本州との航路 ことからの動向が気になるところです
潮風に吹かれる1時間の旅 それぞれの時間に素敵な船旅が楽しめます 説明板は ■記念レール説明板 をご覧ください
■ 潮風の航路 それは生活航路
休日 よく 高松の港を訪ねます 高松港は 宇高航路 小豆島航路 直島航路 そして女木島男木島航路とたくさんの船が行き交います
高松港のフェリーは 観光での利用も多いですが 生活路としての利用が特に多い航路です 一時期 高速道路の料金見直しの影響で宇高航路の廃止が報道されました いまは期限付きの継続の状態ですが JRの瀬戸大橋線が代替としてあるとはいえ 移動時間が大幅に増える方も多いのが現状です
公共交通機関としてのフェリー 運航会社の経営支援など 地域の足を存続する政策の実現を期待しています
STRAWBERRY-CLUBからのお知らせ!! | ||
高松港を発着するフェリーは生活に密着した航路です 特に宇高航路は24時間体制の運行です その航路も高速道路の休日1000円の影響や経済の低迷などによる乗船数の低下により厳しい経営状態と聞きます 地域の足としての航路存続に向け 地元だけではなく 幅広い交通体系の見直しが必要なときではないかなと思います | ||
潮風に甲板 素敵な思い出ができます |
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