享和元年(1716)12月に国主が奉納された絵馬や、天保13年(1842)12月に細川斎護が奉納された鶴の額が神殿に収蔵されています。


的石御茶屋跡 隼鷹天満宮・的石湧水


■隼鷹天満宮
肥後藩主細川利公は(1661〜1712)が参勤交代のため船で東上の折、海上で天候が悪化し、激しい波に船が呑まれようとした時、一羽の白鷹がどこからともなく船柱に飛んできました。すると怒涛はたちまち靜穏となり、つつがなく渡航を終わって無事に上陸することができました。
藩主はその夜旅宿で、霊鷹は的石天満宮の権化との神諭を夢見、その霊験あらたかなるに感じ、京都で社殿の建立を命じられました。
享和元年(1716)12月に国主が奉納された絵馬や、天保13年(1842)12月に細川斎護が奉納された鶴の額が神殿に収蔵されています。と説明板に書かれています。


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