細川家は寛永9年(1632)に熊本城に入城以来11代240年間にわたり熊本統治は続きます。


細川忠利 ガラシャ夫人 熊本城


■細川忠利 ガラシャ夫人
加藤清正は、慶長16年6月24日に熊本城内で薨じます。死後、当時11歳の忠広が跡目を相続。しかし、当時の将軍の徳川家光と相対していた徳川忠長と親しくしていたという理由で改易され、加藤家は取り潰しとなります。
改易後に熊本城主になったのは、豊前小倉城主の細川忠利です。忠利は歌道、茶道、儀礼にも卓越した見識を持っていたとされており、文武に秀でた室町以来の名家と知られています。また、忠利の母親は明智光秀の娘で、のちのガラシャ夫人です。
また、忠利は武芸に通じていたことでも知られおり、剣術も柳生宗炬に入門、二階堂流の奥義も極めています。晩年の宮本武蔵を召し抱えたのも、自身の武道への深い思いがあったことでしょう。
細川家は寛永9年(1632)に熊本城に入城以来11代240年間にわたり熊本統治は続きます。


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