六代目興文公が神様に御信仰になりたいと思召して宇土三之宮の宮司能登に御計りになりお庭の中に児宮明神をお祀りになりました。


松濱軒 児宮明神


■松濱軒 児宮明神 鎮座記
宇土の細川家は代々早死にする人が多かったので六代目興文公が神様に御信仰になりたいと思召して宇土三之宮の宮司能登に御計りになりお庭の中に児宮明神をお祀りになりました。すると其の後は御子様方が皆々お元気にお育ちになり、天然痘の大流行の折も皆様御無事であったと云う事です。この噂が一般にひろがり遠くから大名、小名までその御神徳を恭って疱瘡の難にかからぬ様お詣りに来たと言うことであります。
八代藩主六代營宮公も此の話をきかれ児宮明神をお祀りしたいと思召されていたところ、天明元年(1781)正月十日夜ごと御雲移が行はれると言う報があったので、西垣政萬と云う人が使い立ち宇土三之宮に詣で御神霊を移した宝珠を棒げて翌十一日八代城に帰って来ました。營宮公は直ちに御自身、祠にお移しになりました。大正の初め頃まで疱瘡除けに児宮のしめ縄を頂きに来る人が多かったと申します。と立て札に書かれています。


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