今日の三菱グルーブの基礎を築いた優れた学才で政治だけの変革でない「もう一つの明治維新」を成し遂げた偉人


岩崎彌太郎先生像


■岩崎彌太郎 生家
彌太郎は天保5年 (1834) 12月11日にこの家で生まれ、波乱に富んだ青年期をこの地で過ごした。
生家は平屋建て4室、藩政時代の中農の屋敷である。表座敷に南面する小庭には彌太郎が自ら置いたという日本列島を形どった石組みがあり、彼はここに夢をのせたという。庭にある自然石の記念碑は三菱傘下、諸会社有志により建立された。
三菱のマークは家紋の三段菱に、土佐藩の三葉柏を重ねて現在の形となった。明治6年からである。又、彌太郎の少年時代よく登った、すぐ西の妙見山には星神社があり、彼が江戸遊学の際ここに祈願し、社殿の門扉に「吾 志を得ずんば再びこの山に登らずろと大書したという。坂本龍馬と同年代の彌太郎は51歳で没したが明治維新よりわずか18年に、彼の行った事業は壮大でその後の日本経済、政治にも大きく影響した。安芸市 と書かれた説明板があります。



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